わが偏愛脚本家・山田隆之について
偏愛する脚本家(シナリオライター)がいる。
アチシはどちらかといえば脚本至上主義みたいなトコロがあって、やっぱり映画やドラマの面白さを決めるのは土台となる脚本=シナリオ(映画人は「ホン」と呼ぶ)であると信じている。映画の父・マキノ省三の言葉に「一スジ、二ヌケ、三ドウサ」というのがあるが、全くその通りだろう。大元となるホンがしっかりしていなけりゃ、どう料理したって何ともならない。
てなワケで、何か観て「ああ面白いなァ」と思うと、真っ先に確認したくなるのは「誰が脚本を書いたんだ!」の一点である。
日々浴びるように色々な作品を観ていると、いっぱしにご贔屓の脚本家ができてくる。もちろんモノによって出来不出来はあり、今回はイマイチだなァ、なんてのに当たることもあるが、それでも贔屓フィルターがかかって良しとしてしまったりする。偏愛の域に入るワケだ。
そんな“偏愛”ライターを挙げると、
あたりが最上位にくる。最近は、『俺は用心棒』シリーズをちまちま観ているせいか偏愛度が上がっている結束信二、『荒野の素浪人』第2シリーズでいくつも傑作を放っている田坂啓などがこれに続く。
こうして並べると、救いのなさが際立つハード路線のライターばかりな気もするが……要するにそーいう好みなのだろう。
ほかの諸氏については折々触れるとして、いま一番気になっているひとりが山田隆之だ。94年に亡くなっているが、『月刊 シナリオ』の追悼文はこれもわが偏愛ライターである神波史男が書いており、故人の朴訥とした生真面目な人柄を偲んでいる。青森県の生まれで、東北人らしい土性っ骨のようなものが窺える作風と言おうか、山田脚本は、妙に印象に残るのである。
手元で確認できる資料を眺めていて、その思いはますます強くなる一方だ。
そういえば『木枯し紋次郎』『必殺仕掛人』の競合番組双方で脚本を書いているのは、この人くらいではないか?
前者では安田道代演じる盗人のイロに紋次郎がふと心の隙を見せてつけ込まれる#6「大江戸の夜を走れ」、佐藤允の持ち味が活かされた“小判鮫”との道中を描く#7「六地蔵の影を斬れ」、鍛冶職・土屋嘉男の偽善に紋次郎が怒りの言葉を突きつける#8「一里塚に風を断つ」の3本を執筆。
そして『必殺』だが、再確認して驚いた。必殺シリーズのメイン・ライターといえば初期は野上龍雄、安倍徹郎、国弘威雄、早坂暁、村尾昭ら名手が浮かび、後期にあっては吉田剛、保利吉紀、中原朗、篠崎好などどれを取っても金太郎飴みたいな代わり映えのしないルーティンワークものの書き手に移っていった感がある。
しかし、『仕掛人』『仕置人』のシリーズ初頭2作のみにしか登板していない山田隆之の担当回をみると、それは必殺シリーズの骨組みを成した傑作揃いではないか。
まず『必殺仕掛人』
#6「消す顔消される顔」は三国連太郎を担ぎ出した割にはストレートすぎる悪役だった気もするが、“許せぬ人でなしを消す”というコンセプトにはぴったりな極悪人を描いていた。前期必殺の恒例ともいえる津川雅彦の外道悪役第一回である#15「人殺し人助け」、過激派リーダー・佐藤慶の仕掛をめぐり梅安と左内が衝突する#19「理想に仕掛けろ」、梅安が実の妹を手にかける(これは原作あり)#23「おんな殺し」、そして中村主水の原型とも称される同心・伊藤雄之助の一途な正義感が踏み躙られる大傑作#32「正義にからまれた仕掛人」などがこの人の手による脚本回だ。
続く『必殺仕置人』も、
#4「仏の首にナワかけろ」で鉄の恩人・山田吾一の胸が悪くなるまでの極悪人ぶりを描き、#7「閉じたまなこに深い渕」は眼に魚のウロコを入れ盲人を装う神田隆の検校が強烈なインパクト。
金を貰って人を殺す者たちを主人公に据えた“ワルの上いくワル”の物語に説得力を持たせるためには、とことんワルい奴を造詣しなければならない。山田脚本のワルたちは、その点で際立っている。
ただ、だからして過激路線の名手と形容していいかといえば、それは違うだろう。
この人は、本当に真面目な人だったのだという気がする。要求される大枠の中に合わせるべく、律儀に書く。『必殺』ならこれでもかとワルい奴を捻り出す。あの傑作群も、そんな人柄の産物ではないかと思えるのだ。
アチシはまだまだ山田隆之の作品の大半を観ていない。
『柳生一族の陰謀』や『影の軍団』シリーズもかじりかけである。
これからもその仕事の跡を辿って、ますます偏愛の度合いを深めていきたい。
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