赤穂事件の発端
暮れも近づくと時代劇ライフには忠臣蔵の影が色濃く漂ってくる。時代劇専門チャンネルはじめ各局もラインナップに忠臣蔵絡みの作品が増えてくる。
そんな時期にぶつけてくるようなニュースがあった。
当サイトでは珍しくタイムリーな話題になるのだけれど、ちょっと触れてみよう。
ふらっと入った喫茶店で読んでいた『毎日新聞』記事(12/3付)で読んだもの。
西本願寺の文書で、赤穂事件発端となる江戸城・松の廊下の刃傷事件に関する、発生直後の記録が見つかったというのだ。
これは、本願寺の江戸における出先機関である築地御坊とやりとりをした「江戸江遣書状留帳」と書かれた文書。
原文の一部とされている記述を引用してみると、
一、吉良殿御痛も軽ク、御食事無替事由、御注進、
御見廻御勤之儀ハ、先達而申入候、
猶又其元宜御見廻御勤可有之候、
就夫内匠殿乱心之様承候得共、委細様子御申登せ無之候、
右之首尾其元噂候様子委細申聞可有之候
要約すると、
吉良殿にはお痛みも軽く、お食事もお変わりないとの旨、報告を受けた。
お見舞いに伺う件は先に申し入れておいた。またそちら(築地御坊)からお見舞いに伺うように。
ついては内匠(頭)殿乱心の様子を承りたいのだが、委細の報告がない。右の顛末、そちらでの風聞の様、詳しく申し聞かせられたい。
てなワケである。
事件のリアルタイムな記録としての史料はこれまで見つかっていなかったらしく、貴重な発見とのこと。と同時に、浅野内匠頭の「乱心」の詳細が事件当時にあってもよく判らないことが裏付けられた格好になるそうな。
うぅむ。要するに理不尽なプッツン刃傷が裏付けられたってことになるんではないか、これって。と、吉良イジメ説反対派のアチシは思ってしまう。
近年は癇症である浅野内匠頭の情緒不安定が刃傷事件を招いたんでは……という説が有力だが、数ある忠臣蔵モノの映像作品でそれを描いているのはジェームス三木・脚本による『忠臣蔵 瑶泉院の陰謀』くらいのものである。
あと、深作欣二監督もよっぽど吉良がいびっていびって……という筋が嫌いだったらしく、『赤穂城断絶』(脚本=高田宏治)『忠臣蔵外伝 四谷怪談』(脚本=古田求・深作欣二)の二作ではどちらも何の説明も無しにいきなり内匠頭が吉良上野介に斬りかかるという描写がなされている。
いくらでも話の膨らませようがあるのが忠臣蔵の面白いところではあるのだが、モチーフとなった実際の事件についても新しい発見があるのは喜ばしいことだ。