御用牙(1972)
コレ前に観たのっていつだっけ……ってな久々の再見だが、最初の衝撃を上回るくらいの打ちのめされる映像体験に戦慄。
型破りな同心・板見半蔵の活躍を描く小池一夫(一雄)・神田たけ志の劇画『御用牙』を折からの劇画映画化ブームに乗って勝プロダクションが放った同題作品第一弾。同じく小池一夫作品である若山富三郎・主演『子連れ狼』シリーズと抱き合わせ二本立て興業でのプログラムってのがまた飛び切りイカレていて素晴らしい。
北町奉行所隠密廻り同心・板見半蔵(勝新太郎)は、奉行(小林昭二)を前に“形式だけの”誓詞血判を批判、奉行所内の腐敗堕落ぶりをぶち上げるという横紙破りの硬骨漢。上役たる筆頭与力・大西孫兵衛(西村晃)からも煙たがられている存在だった。
そんな半蔵が配下から聞き出した情報は、大西の弱みを握っておくに格好のスキャンダルであった。大西が囲っている妾・お美乃(朝丘雪路)が、刑死しているはずの殺し屋浪人・三途の竿兵衛(田村高廣)と乳繰り合っていたという。
お美乃を“坐禅ころがし”の責めにかけ籠絡、大西が五百両と生き人形=お美乃で買収され、竿兵衛を密かに逃していた事実を掴んだ半蔵は、さらに調べを進めてその背後にいる大物を手繰り寄せる……。
当時ヤングだった団塊世代が狂喜して観ていたであろうピカレスク的バイオレンスポルノ時代劇。デカいナニを武器に女は思い通り操れてしまうというマコトに単純と言おうか、どーしようもないオトコの理想妄想を絵に描いたいつもの小池節全開作品で、フェミニズム運動か何かの向きからすれば女性蔑視も甚だしいと大ブーイング必至であろうが、いやはやエロジャンルの精神性は時代が下ろうとも変わることがありますまいて。
昭和が終わろうが平成が終わろうが世のオトコ思考に何かしら目立った進歩があろうなどとは到底思えないというのはアチシの白けきった諦念でござんしょうか。
理屈はさておいて、ケシカラン作品でありながら困ったことに面白くて仕方ないこの『御用牙』、改めて三隅研次という監督の並々ならぬ映像センスをまざまざ見せつけられる逸品である。
しっとりとした文芸モノも情感豊かに仕上げる一方で、ケレン味たっぷりな鮮血の美学も得意とする監督なのは、ワカトミ版『子連れ狼』シリーズで実証済み。人体破壊描写のオンパレードで単なる悪趣味バイオレンスになりかねないところを、テンポのいいアクションとして捌いている演出は神がかり的でさえあった。
マニアの間では伝説にもなっていよう『子連れ狼 死に風に向う乳母車』での落とされる首視点の画など、ただもう呆気に取られるしかない、三隅演出ひとつの到達点である。
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ところがどっこい、驚くのはまだ早い。この『御用牙』ではさらにイカれた映像がお目見得するのだ。
半蔵ご自慢のナニ視点。
米俵でのトレーニングや、お美乃への“坐禅ころがし”に用いられるそのショットは、いわば露骨すぎる表現なのだがある一定の節度を保っており、観る側のイマジネーションに任せるという離れ業……。ううーむ、本当に天才かキチガイのどちらかとしか言いようがない。
劇画原作を映画化する上で、より視覚的にインパクトのある映像表現を目指したものか。三隅監督の仕事の中でも、とりわけこの時期の勝プロ作品群は異彩を放っている。
あまり気を張って見入っているとトリップしそうな映画だが、その悪酔い感にトドメを刺すごとくラストはザ・モップスの主題歌で締めくくられる。70年代の混沌が画面から溢れ出すかのよう。
記録を遡るとアチシがこれを最初にビデオで鑑賞したのは、かれこれ10年以上前の中学生時代であった。なんて教育に良い映画なんだろ。
オトナになった(?)今の目から改めて評価しよう。これは岡本喜八監督の『大菩薩峠』に負けない、日本映画史に輝くドラッグ・カルチャーだ!
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『御用牙』
1972年12月30日封切 製作:勝プロダクション/配給:東宝
出演:勝新太郎、朝丘雪路、田村高廣、西村晃、渥美マリ、山内明、草野大悟、蟹江敬三、石橋蓮司、松山照夫、小林昭二、嵯峨善兵、藤岡重慶、山本一郎
・昨年亡くなった朝丘雪路、CS各局での追悼企画などにも本作は挙がっていない(当然か)。だが個人的な意見ではこの「パイパンの妾」役こそ朝丘雪路の代表作だッ!