三船プロがテレビ時代劇に与えた影響
ホームページ更新、どどんと単発ドラマを増量中。いずれも三船プロ作品。
ちょっと三船プロ関連のデータを強化していかねばナ。ずっと思っていることなのだが、思っているだけじゃ仕様がない。
日本において映画産業が翳りを見せてきた60年代、東宝スターである三船敏郎自らが、思い通りの映画作りをするべく立ち上げたのが三船プロダクションだ。
大作時代劇を続々と放ち、当初は目的に違わぬ気焔を吐いたものの、やはり時代の趨勢なのか興行成績は伸び悩み、1970年『待ち伏せ』大コケが決定打となって映画製作からテレビドラマに軸足を移していった。“本編主義”の映画人たちからすれば、それは「身を堕とした」ような格好だったかもしれないが、それでも自前の会社で、スタッフを抱えオープンセットも構え作品づくりに取り組めた三船プロの仕事は、顧みて評価すべきだろう。
とりわけ気になっているのが、もしかするとテレビ時代劇というジャンルに於いて、その形式と言おうか、ひとつのスタイルが構築されていった過程に、もしかすると三船プロは大きな役割を担っていたのではないか、という点だ。
悪く言えばマンネリズム、良く言えば様式美なのか? 決まりきった型があって、定番のお約束ごとに視聴者は「待ってました」とばかり喝采する。
同じ曜日の同じ時間に巡ってくるテレビ番組の性質上、当然の流れとして形成されていくスタイルなのであろうが、回数を重ねるうち「お約束」が固まっていった『水戸黄門』などに対し、三船プロ作品ではあらかじめ戦略的に「お約束」を決めて組み込んでいた気がしてならない。
最たるものは『大江戸捜査網』の出陣シーンで流れる“隠密同心心得之條”やラス立ち時の名乗りだろう。このスタイルは、制作母体が日活から三船プロに移ってから出来上がった。
そして同系統の三船プロ時代劇、例えば『隠し目付参上』、例えば『江戸の牙』……番組開始から決め台詞は定められており、毎回必ず盛り込まれている。
やっぱりこれは、三船プロ作品の大きな特徴と言えるだろう。
時代劇王国・東映の『桃太郎侍』にしたって『暴れん坊将軍』にしたって、数え歌やら「余の顔を見忘れたか」やら定形スタイルが出来上がるまでには幾ばくかの時間を要したものである。
やがて『長七郎江戸日記』など最初からカッチリ決め台詞が定まったものも他社に増えていき、いつしか「そうでなくてはならない」かの如くテレビ時代劇全体が染まっていってしまうのだが、三船プロ制作作品はこの経過の中で先駆者として大きな影響を与えてきたと言えなくはないか。
偉そうなことをぬかすにはもっと体系的にジャンル全体を俯瞰しなくてはならないのだろうが、ひとまず現時点で提起できるのはここまで。
言うなれば“三船プロの功罪”だろうか。
三船プロ贔屓だからとて賞賛ばかり並べるつもりは毛頭ないのである。
金太郎飴みたくどこを切っても同じようなツマラナイ世界にテレビ時代劇を染め上げていった牽引者の役をも、もしかすると三船プロは担っていたかもしれないのだ。