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「チャンバラ狂時代」のブログ。時代劇のこと、その他映画・テレビドラマやら俳優のことなど。
徒然なるままに、時々思いだしたように更新しています。

HP更新のこと、東映太秦映像のこと、編集技師のこと

 このところ、割とコンスタントにホームページ(チャンバラ狂時代)更新ができている。

 手元に紙媒体で資料が溜まりまくっている年別放送リストも、やっとこさ1989年分がまとまったので載せるまでにこぎつけた。

 その他、松方弘樹の『名奉行遠山の金さん(4)』は時代劇専門チャンネルの放送によってスペシャル版まで全て録画完了したのでサブタイトルリストをどどーんと追加。『水戸黄門(17) 』に2時間ドラマ京都殺人街道シリーズなんかもアップ。自己満足に浸るにはデータ量が少なすぎてアレなのだが……。

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 ほとんどビョーキと言ってもいいアチシのクレジット採取の道楽、日々スタッフロールまでシコシコと書き写し、見る名前見る名前みんなお馴染みさんのような感覚になってくる。「ああ○○さん、こんなところでもお仕事ですかァ」ってなモンである。

 特に所帯が小さめの京都映画制作作品なんかは、大体いつも同じような顔ぶれ。『必殺』に関わっている人たちが他の時代劇や2時間ドラマでも職人技を発揮しているのが見受けられる。

 そこへいくと流石に東映なんかはスタッフ陣も数が多く、おまけにかつては「京都撮影所」本体に加え「京都テレビプロ」「東映太秦映像(京都制作所から改称)」と三つの系列でそれぞれ稼働していたから、各社でスタッフの顔ぶれもちょっとずつ違ったりしていたものである。使っているセットやスタジオは同じなのだけどネ。

 テレビプロは平成初頭に解散、太秦映像も気がつけば一昨年であったか消滅しており(井上泰治監督の映画『すもも』が協力会社として太秦映像の名を連ねた最後であった)、NHKのBS時代劇で大岡越前の新作が作られてももうそこに太秦映像の名はないというこの物哀しさ……。

 

 TBSナショナル劇場では水戸黄門』『大岡越前をはじめ江戸を斬る』『翔んでる! 平賀源内』など逸見稔プロデューサー独裁体制みたいな一連の作品群を、そして日テレでも長七郎江戸日記に始まる里見浩太朗アワーと言える火曜8時枠の時代劇を請け負っていたのが東映太秦映像。

 スタッフ顔ぶれはキャメラマン萩屋信、原田裕平、片山顕、小林善和、長谷川光徳ら。照明技師には伊勢晴夫、真城喩、武邦男、井上義一、面屋竜憲、大谷康郎……録音は渡部芳武、神戸孝憲、草川石文、木村均、中川清……本当にいつも書き写しているおかげで、会ったこともないのにまるで古い付き合いの知人のような感覚になってしまう。

 もちろん東映太秦映像に所属とかいった形ではなく、フリーの契約者であったりとか関わり方は様々だろうが、ほぼ固定のように出てくる名前なので、否応なしに「太秦映像の人!」とイメージがついてしまう。

 これらの方々の功績を刻んでおきたいと無謀にも立ち上げたページが時代劇スタッフ人別帳なのだが、ちっとも仕事が進んでいないのが実状……情報がちーとも手に入らないもので。奇特なお方がいらっしゃったら何か手づるをチョーダイ、と乞うて回りたいのが本音である。

 

 ところで太秦映像の作品、黄門の例を挙げる間でもなくマンネリ路線の代表格みたいなものがずらり並ぶのだが、ちょっと観始めるとついつい引きずられて最後まで観ちまう……なんてことが多い気がする。

 ナショ劇にしろ長七郎にしろ、亡くなるまでずっと編集を担当していたのは河合勝巳氏。本で言えばリーダビリティ(読み易さ)、映像の場合は何と呼ばれるのか知らないのだが、とにかく観るに快適な繋ぎのテクニックが素晴らしいと思えてならない。

 昭和三十年代の黄金期東映チャンバラ映画でテンポのいい神技的編集テクニックを駆使していた宮本信太郎氏に師事して身につけた職人技だろうか。

 編集に関してはアチシが敬愛してやまない三船プロ阿良木佳弘氏と並べ、「西の河合、東の阿良木」なんて勝手に呼んだりしている。

 

 そういえば火サスの『女検事 霞夕子』シリーズやら何やらで編集関係に「阿良木プロモーション」なる名を見かけたが、これはやっぱり三船プロが駄目になってから阿良木佳弘氏が独立して会社を立ち上げたとか、そういうことなのであろうか……。

 ああー、気になることが多すぎて落ち着かない落ち着かない落ち着かないよう。

 でもまァ落ち着いちゃったら人間お終いでしょ、などと考えているアチシだ。常に課題山積みで安穏としていられない状況に身を置いていればいいか、と開き直って眠れぬ夜を過ごすのである。