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「チャンバラ狂時代」のブログ。時代劇のこと、その他映画・テレビドラマやら俳優のことなど。
徒然なるままに、時々思いだしたように更新しています。

沈黙の映画評『アウト・フォー・ジャスティス』暴力刑事の極致

 久々になってしまったがセガール映画評シリーズ、今回は初期作品のコレだッ!

アウト・フォー・ジャスティス [ ウィリアム・フォーサイス ]
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 この映画ではセガールが演じるはブルックリンの刑事ジーノ。『刑事ニコ/法の死角』同様イタリア系。幼馴染で相棒刑事のボビー(ジョー・スパターロ)がヤク中のやくざ者リッチー(ウイリアムフォーサイス)に白昼射殺され、復讐に燃えるというそれだけの筋書き

 しかしリッチーもまたジーノやボビーと同じ街で共に育った幼馴染であり、ジーノは彼の両親に随分と世話になっている……とくれば何やら葛藤がありそうなところだが、そこは復讐とか大義名分をカサに暴力振るいたいばっかりセガール、お構いなしである。単独でメチャクチャやるのを警察内でも黙認されているのか一切の障害なしで突っ走るジーノ刑事、リッチーをいぶり出すとかいう小細工のつもりもなさそうな暴れっぷりで、リッチーの弟ヴィニー(アンソニー・デサンド)の店を壊し、クラブを経営している妹パティ(あばずれっぷりが中々ステキなジーナ・ガーション)もブタ箱へ放り込む。そして恩人たる親父さんまで不法逮捕!

 対するリッチーもヤクの吸い過ぎでイカレて凶暴化しており、罪もない人間(無名時代のジョン・レグイザモも被害者だ)を撃ちまくるような極悪。組織からも面汚しとばかり破門状が出ているゲス野郎で、どっちもどっちの復讐劇はその果てで殺られたボビーも大概のクズだったことが判明してしまう。でもそんなの関係ねえ! 暴力が振るえればそれでいいセガールフォーサイスをボッコボコにして息の根止めてジ・エンドなのである。

 

 何故か奥さん(ジョー・チャンパ)と離婚調停中のジーノ刑事、車から放り出された仔犬を救ったりと優しい面も見せつつ、基本は血の気の多い暴漢。全く感情移入できないヤな奴でしかない気がするのだが、ジョン・フリン監督はテンポ良く映画を進行させ観る側にあまりそこらへんを感じさせず捌いていく。流石チャールズ・ブロンソンのワンマン映画でならしたJ・リー・トンプソンのもとで学んだだけあるなァ。

 初期はマトモだったと思いきや所詮セガールセガール、ろくでもない映画ばっかりだなァと幻滅するのはお待ちなせえ。やっぱり初期はアクションがしっかりしている。スタントやカット割で誤魔化さずきっちり合気道技をキメるし、車もちゃんと自分で運転しているのが現在の目から見ると感涙モノだ。

 銃には銃、素手には素手、武器を持ってかかってくる奴にはその武器を奪い取ってきっちりお返しキメるというアクションのストーリー性も、序盤の肉屋乱闘からラストの対フォーサイス戦まで一貫しているのも痛快。

 なんだかんだで、合気道を駆使した“正統セガール・アクション”を観たいと思ったら、選ぶべきはこのあたりの初期作品に限られてしまうのだよなァー。

 

 それからもう一つ見どころは、数々の作品で「タフガイ」をやたら目の敵にしているセガールおじさんがそのタフガイいじめをしている第一号(?)がこの『アウト・フォー・ジャスティス』にある点だ。

 車から仔犬(可愛いコラッジョ君=ジー命名)を投げ捨てたワゴン車のおっさん、「再会できますように」と祈ったジーノ刑事の願いは叶ってラスト、よりを戻した奥さんとデート中にばったり再会。当然ぶちのめしたのち、コラッジョ君による報復のオマケつき。このおっさんのクレジットはその名も“Station Wagon Tough Guy”であった。

 

 

『アウト・フォー・ジャスティス』1991年4月(本国封切)/アメリ
原題“OUT FOR JUSTICE”…直訳すると『正義を求めて』になるのだろうか? 内容からすると『正義のために(道を)外れろ』としてもいいような気がするが。
という訳で勝手に邦題『俺が正義だ』

エグゼクティブ・プロデューサー…ジュリアス・ナッソ
プロデューサー…スティーヴン・セガール、アーノルド・コペルソン
アソシエイト・プロデューサー…ジャクリーン・ジョージ
コ・プロデューサー…ピーター・マグレガー・スコット
脚本…デイヴィッド・リー・ヘンリー
監督…ジョン・フリン

出演…スティーヴン・セガール(ジーノ・フェリーノ)、ウイリアムフォーサイス(意外にやられアクション頑張っているリッチー・マダーノ)、ジョー・チャンパ(離婚調停中ヴィッキー・フェリーノ)、シャーリーン・ミッチェル(ボビーの奥さん・ローリー)、ジーナ・ガーション(10ドルの売春婦ことパティ・マダーノ)、ジェリー・オーバック(ジーノを野放しにしているロニー警部)、ジェイ・アコヴォーン(リッチーの手下)、ロン・マッコーン(マフィアのドン・ヴィットリオ)、サル・リチャーズ(代貸格のフランキー)、ジョー・スパターロ(浮気者ボビー・ルポ)、ジュリアナ・マルグリーズ(リカ)、ソニー・ハースト(歯を折られるタトゥー野郎)、ジュリアス・ナッソJr(なんとジーノの息子トニーを演じているのはセガールと二人三脚だったプロデューサーの子息ではないか!)、ソニー・ジトー(Station Wagon Tough Guy)

任侠映画総覧計画・幕間

 任侠映画という呼称、思えばひどく漠然としている。大きなくくりで捉えてしまうと、「任侠精神を持った主人公の登場する映画」ということになるだろうか。

 間違っちゃいけないのは任侠=やくざではない点。実際、東映任侠路線華やかなりし頃の代表的シリーズ『日本侠客伝』の主人公たちは、やくざではない場合もあった。鳶職なり人足なり、男を売りとする稼業の“侠客”たちであった。

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日本侠客伝 [ 高倉健 ]
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 とはいえ圧倒的にやくざモノが多いこのジャンル、昨今レンタル屋で「任侠」とカテゴライズされた棚を見れば、小沢仁志のVシネなどがわらわらと並び、すっかり「任侠=やくざ」の図式は定着している気がする。

 では任侠映画とは単にやくざ映画の別名なのか? そう決めてしまうのには待ったをかけたくなる。この言葉からイメージされるのは、Vシネや実録モノ、それに近年のアウトレイジなどを除く往年の鶴田浩二高倉健らが看板を張っていた東映映画群である。

 

 ひとまず東映以外──同時発生的に作られていた関東無宿』『東海遊侠伝』『男の紋章』といった日活作品や、完全に後追いの格好で始まった『若親分』『女賭博師』シリーズなどの大映作品なんかは、ここではさて置くとしよう。やっぱりこのジャンルの牽引者は三角マークの東映だ。

 

 東映任侠路線の幕開けは、1963年の『人生劇場 飛車角』とする説と64年博徒とする説、ふた通りある。どちらかといえばメロドラマ調の前者を「あんなものは任侠映画やない」と一蹴する小沢茂弘監督の“手柄顔”じみた主張のせいかもしれないが、やはり『飛車角』は東映がこの路線に乗り出すきっかけを作った先鞭的な役割を担ったとみていいだろう。原作を離れ『続』『新』まで作られた『飛車角』は、三本とも『博徒』以前に封切られているが、笠原和夫の筆によるこれらの脚本には紛れもなく後年の任侠路線作品群に通じる遺伝子が流れていた。

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人生劇場 飛車角 [ 鶴田浩二 ]
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『飛車角』以前には石井輝男井上梅次監督によるギャング路線を放っていた東京撮影所は、任侠路線が波に乗ったのち主として背広やくざを主人公とする現代ものを、そして京都撮影所では、それまでの主流だった時代劇からの連続ともいうべき着流しやくざの近代ものを続々と製作、東西ともに数多のシリーズを抱え任侠路線全盛期を作った。

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仁義なき戦い [ 菅原文太 ]
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 そんな流れを変えたのは、今更くどくど述べる必要もなかろう73年仁義なき戦いに始まる実録路線の登場。きれいごとを取り去った生々しい迫力の現代やくざ像を叩きつける“実録ショック”は、いい加減マンネリに陥ってきていた任侠路線をより色褪せたものにしてしまった。それでも、従来の任侠映画は即座に滅びた訳ではない。実録路線と併走する格好で、しかし既によりどころを失くした心細さを抱えるように失速を続け、やがて実録路線の終焉とともにひっそり幕を閉じていった。

 

 おおまかに区分をすると1963〜1976年頃が、以上の出来事に相当する、任侠映画の位置する年代である。

 難しいのはこの時期の東映映画、任侠路線か否かの線引きがしづらいものが多いのである。大体において東映映画、みんなやくざっぽい。一般には任侠映画扱いされる網走番外地にしたって、正確に言うなら活劇アクション映画のくくりに入れるべきだろう(『新網走番外地シリーズは石井輝男監督の手を離れ、通常の任侠路線に落ち着いたと言える)が、何しろ主人公はやくざである。逆に一連の梅宮辰夫主演スケコマシ映画なんかは任侠映画とは見なされないものの実にやくざっぽいし、女番長モノだってやくざっぽさ満点である。

 乱暴にまとめてしまうと東映=やくざ。従って全ての東映映画は任侠映画である! なんてことになりかねない。

 反対に、極めて狭義の捉え方をするなら、任侠路線=俊藤浩滋という見方もできる。この路線の立役者であるプロデューサー俊藤浩滋の製作したものこそが任侠映画だ、と原理主義的くくりをしてしまったら楽チンかもしれない。が、そうなると明らかに任侠路線の一環でありながら非・俊藤プロデュース作品ということで省かれてしまう作品も出てこよう。

 

 そもそも映画をジャンルでくくるのは間違いであるかもしれない。逃げを打ってこんな結論に落ち着いちまってはミもフタもないが、心の底ではこれがアチシの本音である。しかしそれでは収まりがつかない。頭をひねって何とかここでの「任侠映画定義」を打ち立ててみよう。

  • まず『人生劇場 飛車角』をもってスタートとする。
  • 俊藤/非・俊藤プロデュースを問わず、当てはまりそうなものは任侠映画と見なす。
  • 背広の現代やくざが跋扈する暴力団モノも含む。
  • そして世間的に「実録」路線と言われている作品は、「任侠」路線とは区別して扱う。
  • 不良番長』『ずべ公番長』『女番長』シリーズなどは……含めちまってもいいんじゃないか。

 割と幅広く視界を取っておくことにしよう。だからもちろん『網走番外地』だって任侠映画のくくりに入れちまおう。

 あまり難しく考えないで「任侠映画」という作品群を捉えてみると、63年〜76年頃の“それっぽい”映画すべてがこの中に入ることになる。わが「総覧計画」はこれらを対象に進んでいくのである。これにて定義終わり。

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 ところで。

 すっぱりと76年『北陸代理戦争』をもって区切りとされる実録路線に対し、任侠路線は立ち消えのような格好で、終わりどころが明確ではない。一体どの作品をして東映任侠映画の終焉と見なすべきであろう。ずるずる年代も下って俊藤浩滋がプロデュースした84年修羅の群れ85年最後の博徒あたりか。しかしあれは、夢よもう一度とでもいうように一瞬のみ復活した“燃え残り”ではなかったか。

 では77年〜78年『日本の首領』シリーズは。あれも任侠路線とも実録路線ともつかぬニューウェイブの珍作で、むしろ後年の極道の妻たちシリーズに近いドラマチックなファミリー映画(注意、ファミリー向け映画の意ではない!)だった。

 そう思うと、任侠映画を看取った最後の作品というのは、もしかするとアンチテーゼを多分に含んだ倉本聰脚本を土台に三角マークの京撮へ健さんがカムバックした『冬の華』あたりかもしれない。

 はたまた、ハチャメチャにやくざ者たちがそのやくざ者であることを笑いの武器に昇華させられた岡本喜八の快作ダイナマイトどんどんか(徳間康快の新生大映製作だが配給は東映)。

 ちなみにこの二作も、ちゃんとプロデューサーとして俊藤浩滋は絡んでいる。

 最後の任侠映画。これもまたよく見極めて考察してみたいところである。

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時代劇ライフ2017年10月

 BS-TBS武田鉄矢水戸黄門が始まった。もはや里見黄門期からこの番組には何も感じなくなっている。いや遡って観てみると、西村期の途中から既にすっかりこの番組は(というか当時のナショナル劇場は)すっかり空ッポの形骸と化していた気がする。

 ただ思うことは、武田鉄矢はどちらかと言えば黄門より大久保彦左衛門でも演ったほうが合ってんじゃないかナってくらいだ。

 

 10月、CS方面での収穫は『獣の剣』(1965年/松竹・俳優座)。これは五社英雄がテレビ三匹の侍中から焼き直しで映画にしたものらしい。『三匹〜』は第3シリーズ以前が現存しておらず見較べたくても出来ないのが口惜しい。

 テレビシリーズ同様に平幹二朗加藤剛が出演し、衝突する役どころながら心を通じ合わせる。武家の世界に背を向ける男と、忠義一途に夜叉と化す男。和ませ役の長門勇が不在だがそれに代わるポジションが田中邦衛か? この時期にしては大きい役で邦衛ファンとしては嬉しい。また五社作品に出演は珍しい三原葉子(いかにも五社好みの女優さんって気がするが)も出演。湯けむりのなか平幹と格闘しチラリとバストトップが露出する。

 アチシの目的はスタッフクレジットに安部衛氏の名前を確認することだったのだが、色々と拾いものができてオイシい視聴体験だった。衛星劇場は高いけど充分にモトが取れたわい。

 

 クズ映画熱が再燃して『死霊のしたたり3』とかぐちょぐちょぬとぬとホラーなんか観る比率が高まっているなか、それでもセッセとチェックしている時代劇は、主に70年代前半以前のもの。BSジャパンで始まった久保菜穂子・主演『女殺し屋 花笠お竜』は、意外や長門勇演じる赤牛九郎太がアメリカのドラマ『逃亡者』からの戴きっぽく道中劇の主筋をなす。キンブル医師の役どころにあたる長門勇を追っかけるジェラード警部のポジションは何と大木正司。この人もアチシの好きな役者さんだがレギュラー出演って初めてお目にかかる。

『おんな浮世絵 紅之介参る!』はただもう小川真由美という名の小宇宙が広がる魔の珍作。アイフル大作戦』同様、破壊力抜群の真由美サマ歌唱に恐れ入るしかない。#9「哀しき仕掛人」は兎を愛する孤独な殺し屋・石橋蓮司が出色であった。

 飛んで90年代作品、BSフジで毎週金曜にやっているにも関わらずテレビ愛知お昼の枠へも登場、北大路欣也銭形平次は、嬉しいことにスペシャル版まで余さず放送(BSフジのほうだとスペシャルは飛ばしているんだナ)。

 この枠、以前同じ北大路平次をやったときは何とエンディングをカット。ゲストキャストもスタッフもクレジットが採れず憤慨したものだった。今回はそんなコトなく安心。

 

 わが愛する三船プロ作品摂取量(?)が不足していることに焦燥感を覚える今日この頃。ちょこちょこと大江戸捜査網をチェックして不足を補っているのだが、さすがに長寿シリーズだけあって脚本の焼き直しを散見。そこらへんの事情はキイハンター『Gメン75』でもご同様だが……しかし同シリーズならずとも脚本家はしばしば脚本の再利用を行っている。持ちネタが溜まってきたら、ちょっとしたコラムにまとめてみるのも面白いかもしれない。

 使い廻しチャンピオンを選出するとしたら一体どのライターがトップに躍り出るのだろうか……。今のところ最も目立つ「再利用率」高い作家は国弘威雄センセイかもしれない。

 

任侠映画総覧計画『監獄人別帳』リブートした網走番外地!

監獄人別帳(1970年4月/東映京都)
脚本:石井輝男掛札昌裕
監督:石井輝男
出演:渡瀬恒彦佐藤允伊吹吾郎大辻伺郎、尾藤イサオ、賀川雪絵、沢彰謙、上田吉二郎、沢淑子、荒木一郎清川虹子内田良平嵐寛寿郎

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監獄人別帳 [ 渡瀬恒彦 ]
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網走番外地シリーズの看守さんといえば関山耕司、山本麟一あたりのイメージが強い。権威をカサに威張り散らして健さんら囚人をいじめるものの、当然あとでヒドい目に遭うってのがお決まり。よくお巡りをブッ殺す東映らしい展開と言えようか。

 シリーズが石井輝男の手を離れ「新」になっている間に、ご本尊の石井カントクは主人公〈橘真一〉を復活させた。東映入社したての渡瀬恒彦で。しかも京都撮影所で。それが「人別帳」シリーズ二作だ。

 渡瀬デビューの殺し屋人別帳に続く第二作『監獄人別帳は『網走番外地』第一作の焼き直しと言っていい。もっとも、かなり硬派だったオリジナルに比べると大分“不良性感度”高めのお下品路線を突っ走っている。

 貧しい暮らしのなかから極道者になり殴り込みの果てが網走監獄行き、妹の手紙で母親の重病を知るという橘真一(渡瀬恒彦)の設定は変わらず、もう一人の主軸となる吉岡(佐藤允)の復讐物語がストーリーを引っ張る。父を殺した警察長官(沢彰謙)を討ち果たすべく親兄弟ぐるみの脱獄計画、今回の網走は吉岡の妹(賀川雪絵)もいるため女囚部屋も絡んできてピンクな要素も割り増し、いよいよお下品という趣向である。

 シリアスからおふざけ全開まで多様だった『網走番外地』、本作は最もシリアスだった第一作を思いきりハッチャケさせて焼き直したようなもので、当然の如く鬼寅親分(嵐寛寿郎)も登場してしまうのだが、もはやこの人は説明不要レベル。都合のいい最終兵器といった扱いで大いに笑わせてくれる。これ網走シリーズとして観ていない人は訳が判らず置いてけぼりなんじゃないか。「何だこのチートじじいは!?」てな塩梅である。

 

 狙いすぎがあざといようなお笑い部分や、ちょいとテンポを削ぐお涙頂戴の回想(見どころはガッコの先生波多野博か)が引っかかるなァ、なんて思うようになっちまったらもう立派な網走シリーズマスターである。

 そんな上級者の皆さんには、ゼヒ京都撮影所版・網走番外地の看守さんたちを楽しんで戴きたい。

 やたらデキすぎた人物の内田良平はともかく、兇悪そのものと言える他の面々は千葉敏郎、阿波地大輔、鈴木金哉といったコワモテたち。残忍にして好色。実にいい味を出しているのである。せっかくの京撮版「網走」なのだから、どうせなら他にも小田部通麿、北川俊夫、有川正治、秋山勝俊、志賀勝といったイカツい顔ぶれを総動員してきて欲しかったところだ。

 そして何より特筆すべきは、やはりこの人だろう。東京撮影所の顔と呼べる名脇役のひとり、石井カントクお気に入りでもある沢彰謙が、京撮版「網走」のラスボスという大役に抜擢されている点である。この人、旧シリーズじゃ皆勤賞だったんではなかろうか、初回の健さんに飯をなすりつけられる継父役を筆頭に、良いおじさんからコスい悪党まで幅広くこなしていたが、いよいよ最後の血祭りにあげられる大悪人のポジションである。網走シリーズ愛好者なら、この配役に涙せずにはいられないハズだ。

 

 ところで。

 今回はこの「任侠映画総覧計画」に異色とも思える『監獄人別帳』を組み込んでしまったのだが、そもそも『網走番外地』って任侠映画なのだろうか。

 一般には任侠映画中の人気シリーズと目されることが多く、デァゴスティーニの東映任侠映画DVDコレクション』ラインナップにも網走シリーズは入っているのだが、果たしてこのくくり方は正しいのだろうか。高倉健・主演という看板の力に誤魔化されているうちはまだしも、リブートして渡瀬恒彦・主演作品となると、一気にその扱い方は難しくなってくる。

 そもそも任侠映画って、どう定義したらいいのだろう。

 重大な問題の壁にぶち当たったところで、次回はその定義についてつらつら駄文をつづってみようかと思う。

任侠映画総覧計画『博奕打ち外伝』

 ──という訳で(何のこっちゃ)。

『博奕打ち外伝』である。

 前回、待田京介がフェイク忠義者を演じた『日蔭者』を取り上げたときに、思い出したのがこの作品であった。

 

『博奕打ち外伝』(1972年7月/東映京都)
脚本:野上龍雄
監督:山下耕作
出演:鶴田浩二高倉健若山富三郎菅原文太松方弘樹辰巳柳太郎浜木綿子伊吹吾郎遠藤辰雄金子信雄、東竜子、野口貴史、松平純子、石井富子

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博奕打ち外伝 [ 鶴田浩二 ]
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 明治後期の九州・若松。川船頭を束ねる江川周吉(鶴田浩二)は、土地の博徒寄合・睦会の一員である大室(若山富三郎)の一家と犬猿の仲であった。その大室が、睦会の大親分・浦田(辰巳柳太郎)直々の任命で、後任の二代目と決まった。

 睦会代貸の花井栄次(高倉健)こそ後任の最有力候補と目されていたにも関わらず、浦田親分は器量の落ちる大室に跡目を託したのだ。納得のいかない江川は、浦田親分に直談判しようとするが、浦田夫人(東竜子)からこの跡目決定の事情を明かされる。花井は大親分が他の女に産ませた実の子で、いかに出来がよかろうと渡世の筋目で跡を継がせる訳にはいかないのだという。

 表面的なことしか見ずゴネようとした己の浅はかさを恥じた江川は、兄弟分である花井と約束を交わし、大室とのいざこざは水に流すと決心するのだが……。

 

 鶴田浩二はいつもの辛抱立役で、我慢に我慢を重ねた挙句が兄弟分の健さんと、実の兄弟二人(菅原文太伊吹吾郎)そして親分・辰巳柳太郎まで失う。

 対立する相手は若富なのだが、立場上張り合ってはいても心底から憎いと思う関係ではないというのが、本作の対立関係の特徴だ。では何がこの二人を最後の闘いに向かわせたか。

 若富=大室親分の代貸・滝。松方弘樹演じるこの死神(疫病神?)のような男が全ての要因になっている。

 渡世の掟も仁義も知らない、拾ってくれた恩のある大室親分しかこの男の中にはない。大室を押しも押されもせぬ大親分にするためなら、いくらでも手を汚してやろうという、曲がった忠義の塊なのである。

 大映にレンタル移籍し、市川雷蔵の後釜として売り出されたものの今ひとつパッとしないまま大映も倒産。出戻ってもやはりパッとしない二枚目に留まっていた松方が、転機を迎えた作品こそ、この『博奕打ち外伝』だった。

 隻眼でびっこを引いた不具者、抑えたドスの効いた口調で喋る代貸・滝は、不穏そのものと言っていいムードを始終発して物語を転がす役目を担う。大室の二代目継承は確定となっているのに、それでもなお江川憎しと独断で動くパラノイア的悪役。はっきり言って、数ある任侠映画中でも異色の存在だ。

 

 外伝などと銘打たれているが、プログラムピクチャーに正伝も外伝もあったものではない、要するに『列伝』シリーズ同様のオールスター路線ということでつけたタイトルなのだろうが、名は体を表すと言おうか、本当にどこか“外れた”系統の作品になってしまったのは図らざる不思議な帰結。

 確かに鶴田、健さん、若富、そして文太と主役級スターをずらり揃えた豪華な布陣ではある。が、いかにも寂しい。そうだ、藤純子がいない。この年4月に封切られた『関東緋桜一家を以て引退してしまったのだ。

 それだけではなく漂ううら寂しさは何か。オールスターと呼ぶには、これまで任侠映画を彩ってきた悪役たちが全然出ていない。安部徹がいない。天津敏がいない。名和宏渡辺文雄も、河津清三郎水島道太郎もいない。善玉にも応用の効く嵐寛寿郎大木実待田京介たちもいない。そして、引退した名花・藤純子はともかくとして、女優陣も驚くほど少ない。わずかにヒロインとして馬賊上がりの芸者・浜木綿子が配されているのみで、ロマンス的要素はお飾り程度に添えられるのみだ。

 さらには主役級である高倉健菅原文太も、実に呆気なく死亡退場していく。

 要するにこれは、鶴田VS若富・松方の闘いに集約された映画なのだ。悪役でお馴染みの金子信雄遠藤辰雄もチョイ役の善人に廻し、焦点を絞った筋書きだ。ラストの殴り込みすら、お決まりパターンの大立ち廻りは影をひそめ、鶴田・若富の一騎打ちとなっている。勝負がついてから子分たちがワラワラと駆けつけるが、そこから大殺陣に発展することはない。

 

 形式を守っていないから駄作だって? そんなことはない。パターン破りにこそ面白いものがある。とうに熱狂から醒めてしまったこの時期の任侠映画にあって、一種突き放したかのような対決ドラマを描いた本作は、もしかすると脚本家・野上龍雄が示した“任侠映画への意思表示”だったかもしれない。

 同様に任侠映画の主翼を担っていた村尾昭と比較して、早くからテレビにも活躍の場を移していた野上龍雄は、どっぷり首まで浸かっていた村尾昭よりも、いくぶん引いた視線で任侠映画という色褪せかかったジャンルを見つめていたかもしれない。そして、出来上がった枠組みの中へ巧みに異分子的な要素を投入し、“内部からの破壊”を試みたのかもしれない。今や確かめようのない推論だが、何とはなしそんな気がしている。

 翌年には仁義なき戦いが封切られ、その後も任侠映画と呼べる作品はぽつぽつとながら製作が続いていくが、それはすでに『仁義〜』の登場によって木っ端微塵に打ち砕かれてしまったものの余韻でしかない作品群だった。

 破壊が完全になされる以前の、破壊工作の痕跡。そこに『博奕打ち外伝』を観る面白さはある。

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任侠映画総覧計画『日蔭者』

 鶴田浩二のヒット歌謡曲を材に得た任侠映画、といえばまず『傷だらけの人生』二作が浮かぶが、この『日蔭者』もご同様。まさに任侠映画の性格をずばり表したようなタイトルだ。

 ピークを過ぎ斜陽期になってきている72年という製作年も、“日蔭”の感を一層高めているかのよう。鶴田浩二が代表格であるようなモラリスト的やくざ者像はどんどん色褪せて、もっと生々しく過激なものが主流となっていく時期である。現に70〜72年ごろの東映では、鶴田浩二もそうした潮流に呑まれていたが、やはりマッチしたとは言い難く、新しい波には菅原文太渡瀬恒彦といった面子が乗っていった。

 時代に逆行するかの如く、筋道を守った昔気質が新興の勢力に立ち向かう。任侠映画の基本的な図式だが、そんな任侠映画という路線そのものが自らの内容を体現しているかに見える末期症状と言えなくもない。この時期の任侠映画、また看板を負って立つ存在である鶴田浩二その人にも、一抹の翳りじみたものが感じられて、何となく物悲しい気分を誘う。

 けれどこの『日蔭者』、アチシとしちゃ好きな作品である。

 

『日蔭者』(1972年11月/東映京都)
原案:藤原審爾/脚本:棚田吾郎
監督:山下耕作
出演:鶴田浩二松尾嘉代加賀まりこ、葉山良二、待田京介、天津敏、汐路章、林彰太郎、東竜子、梅津栄高宮敬二、山本麟一、内田朝雄、池部良

 主人公の小鉄こと小池鉄太郎(鶴田浩二)は、昔気質の松尾組で総長(内田朝雄)からの信望も厚い存在。大戦に召集され、傷痍軍人として戻ってみると、親方日の丸で憲兵連中を後ろ盾にのしてきた栗原組(親分は天津敏)が幅を効かせており、松尾組の中にも栗原組へすり寄ろうとする幹部がいるなど、難しい局面を迎えていた。

 総長は寄る年波で、若衆頭の伊三郎(葉山良二)がその娘婿になっている。総長の娘・雪江(加賀まりこ)はかつて小鉄に惚れていたが、縁談は小鉄の方から断っていた。というのも小鉄には他に惚れた女・小りん(松尾嘉代)がいたため──。と、これまた別の意味で難しい事情があとで活きてくる。

 小鉄を大いに買っている総長が、対栗原/軍人の対応をかれに一任したことで、内外ともに敵が増えていく。正式に跡目と決まっている訳でもない一幹部、それも出戻って間もない半分よそ者に近い男が……と面白く思わない者が、当然いる。

 内部の敵は、伊三郎の片腕である武司。演ずるは、待田京介だ。善玉をやってもハマるが徹底したワルも様になる。栗原組と手を結ぶ思惑が外れて荒れる幹部・矢野=山本麟一を事故に見せかけ殺したり、伊三郎を跡目にと雪江を焚きつけ親殺しをそそのかすなど、小鉄の台頭を阻止すべくコソコソ動く薄気味悪い男で、これが一貫して伊三郎への忠義というのだったら、本作の印象はもっと変わっていたろうが、けっきょく武司は己の欲心が主であった。雪江を押し倒すあたりからチンケな本性が露わになってきて、悪事がバレるや伊三郎を刺し栗原の懐へ逃げ込むに至って、ただの小悪党でしかなくなる。本作の残念なところは、ひとえに武司のキャラクターだったかもしれない。

 

 意地を通して、軍が狙う土地を守ろうとする小鉄。その意地が最終的には単身の殴り込みへと結実していくのは、お定まりの展開。

 鶴田浩二は、これでもかという正統派任侠映画の主人公を演じている。横暴な権力に擦り寄る“ただの暴力団”になることを拒み、組織内での栄達を望む訳でもない、ひたすら“日蔭”をすすんで歩く。所詮やくざ者でしかないという自覚からの、マゾヒスティックなまでの裏目張り(68年『解散式』で使われていた形容ですナ)は、ややもするとイヤミったらしくなるところだがそう見せないのが絶妙。賭場でのいざこざを収め、伊三郎の責を不問に付すべく総長に指を差し出すシーンなど、そのさりげなさが抜群に格好良い。長谷川伸の世界に近いような、日蔭を行く人間のヒロイズムを見事に体現している。

 

 画面から漂う情感で定評のある山下耕作監督は、本作でもその手腕を発揮して小鉄と小りんのさりげない会話もしっとりとした良いシーンに仕上げている。一時の邪念に負け、とんでもない顛末を呼んでしまった雪江の悲劇も、プクプクした愛らしい赤ちゃんの画を挟み込んで効果的に際立たせている。

 どうしても似たり寄ったりの内容になりがちな任侠映画というもの、配役の好みやディティールなどによって観る者それぞれの好き嫌いは決まっていく。その点でいくと、アチシが本作を好きな作品と言い切る最大の理由は、何と言っても内田朝雄の配役だろう。

 珍しく徹頭徹尾善い親分である。ポジションとしては、嵐寛寿郎がよく演っていた寝たきり親分に近いが、生臭い欲望亡者の役が多い内田朝雄が演じていることによって感動がいや増す効果がある。小鉄の腹中を敏感に察した上で、自身にはね返ってくる火の粉も恐れず責を負う覚悟がある親分。その恩は、さらに小鉄をして裏目裏目へと張らせる原動力になってしまう。内田朝雄の善人役のなかでも、ベストに近いオイシイ役だったかもしれない。

 

 最後に、池部良について。

 小鉄の立場に寄り添うが如く、静観している幹部のひとり・高石。肺病病みで、時おり咳が止まらなくなる高石がこの映画の中で担う役割は、もう登場した瞬間から観る側には判っているようなものである。

 カビ臭い任侠道にしがみついた小鉄が、決死の覚悟で向かう殴り込みには当然、ヒットソング「日蔭者」が被る。ここで風間重吉よろしく高石がユラリ……と現れたなら、もはやギャグにしかならない。

 肺病やくざの高石は、斬り合いが始まってからしばし、裏手から逃げようとする武司に通せんぼをするかの如く現れる。「やっぱり!」な見せ場ではあるが、かれはわずかに下っ端を斬っただけで発作に襲われ、武司を仕留めることも叶わず返り討ちにされてしまう。

 バリエーションの変化としてこうなったに過ぎないことではあろうが、何とはなしここにも任侠映画の斜陽を見るようで、物悲しい思いが去来するのであった。

沈黙の映画評『沈黙のステルス』淡々とした劣化版ライバックを見よ

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 それにしても、酷い邦題である。

 リリース当時は「セガールに空戦なんざやらせてどうする!」と思ったものだ。それでもつい借りて観た。で、結果、全く印象に残らなかった。2001年の『TICKER』以降、すっかりアクションに力を入れなくなった(そのくせバンバンと新作を撮り続けていた)セガールおじさん、しかも邦題はどれがどれやらサッパリ判らない『沈黙の〜』ばかり。そんな中の一本として、記憶から消え去っていた。

 この「沈黙の映画評」の一環として再見してみたら、中々どうしてそれなりにまとまった映画だった。他のあまりにも酷すぎるセガール作品に比べれば、の話だが!

 しかーし。

 驚くほど盛り上がらないのだ!

 

 セガールおじさんの役は、空軍の凄腕パイロット・ジョン。何やら国家機密を“知りすぎた男”として囚われ、記憶消去の処置を施されそうになっていたがサラッと脱出。盛り上がらぬ映画はツカミからさっぱり盛り上がらぬまま進行していく。

 電磁パルスが機体を包み込み「完全に姿を消す」機能を持った新型ステルス戦闘機・X-77が試験飛行中、消息を絶つ。パイロットのラッチャー(スティーヴ・トゥセイント)がアフガニスタンのテロリストに買収されていたのだ。

 責任者の空軍大将・バーンズ(アンガス・マッキネス)は、町のマーケットで強盗を撃退し警察に拘留されていたジョンにX-77奪還の任務を命じる。

 前半部第二のツカミは、このジョンが強盗をやっつけるアクションシーン。後で警察に「正当防衛」を主張するが、どう見てもわざわざ店外から介入して(ガラスぶち破ってまで)叩きのめしに行っている。チンピラ程度の強盗はきっちり抹殺され、殺されなくても済んだであろう店員まで巻き添えで死ぬ展開は、過剰防衛と言おうか過剰正義とでも名づけるべきか、とにかく暴力が振るえる名目があれば徹底的に振るうといういつものセガール節を踏襲している。

 自身を裏切った格好の軍に再び使われることになるジョンだが、さしたる葛藤もなくサラッとこれを呑み、アフガンへ飛ぶ。相棒として同行し早々敵方の捕虜になるジャニック(マーク・ベイズリー)は台詞上じゃヤな奴みたいに言われているが、このあたりも書き込まれることなくサラッと進行。

 現地にいる協力者・ジェシカ(シエラ・ペイトン)&ロジャー(アルキ・デイヴィッド)と共に淡々と敵を射殺・爆殺。申し訳程度に沈黙の要塞ふう棒術アクションも入るが、これも淡々とこなすのみのセガールおじさん。

 クライマックスは化学兵器が搭載されたX-77を見事に奪回、操縦するジョンとF-16で追ってくるラッチャーとの空戦である。一発でも弾を喰らえば地球壊滅、手に汗握る一触即発の死闘……のはずなのだが、実物戦闘機映像と安っぽいCGの羅列で構成されたスカイアクションもさっぱり盛り上がらないままサラッと決着。

 

 タイムリミットつき、不可能ミッションをギリギリ遂行という王道パターン。これで協力者がプロ戦闘員でない現地の素人とかだったら"Under Siege"シリーズ(沈黙の戦艦』『暴走特急)と同系統なのだが、全編さっぱり起伏なく淡々と流れていくのみである。細川俊之みたいな顔したテロリストの親玉(ヴィンセンツォ・ニコリ)は呆気なくラッチャーに射殺されるし、ミッション成功を告げられた空軍本部の反応もえらくクール(ここは暴走特急クラスの喝采があっていいと思うのだが……)。

 主役のセガールおじさんが『あばれ』シリーズの西郷輝彦並みに淡々としているのはともかくとして、演出はもうちょっとメリハリをつけていいと思うゾ?

 なまじストーリーが小ざっぱりとまとまっているおかげで劣化版ライバックみたいな結果になってしまった本作、観終わったあとに何も残らない。あな恐ろしや、セガールおじさんが冒頭で逃れた記憶消去の処置は、鑑賞者の側に施されてしまったのである!

 

 かろうじて緊張感を持たせていたと思えるシーンは、潜伏したジョンを探しにきた敵方ナンバー2のレズ戦士(カティ・ジョーンズ)にジェシカが色仕掛けで迫るあたり。セガール映画恒例のおっぱいシーンなのであった。

 

沈黙のステルス(2007年2月・米 ビデオスルー作品)
原題"FLIGHT OF FURY" =直訳:怒りの飛行
勝手に邦題沈黙の奪還

エグゼクティブ・プロデューサー:フィリップ・B・ゴールドファイン、ブルーノ・ホーフラー
コ・エグゼクティブ・プロデューサー:ウイリアム・B・スティークリー、ビン・ダン
プロデューサー:スティーヴン・セガール、ピエール・スペングラー
コ・プロデューサー:ヴラド・パウネスク
アソシエイト・プロデューサー:リチャード・ターナー、マイケル・ラヴィッド・ガノット、ジョー・ハルピン
原案:ジョー・ハルピン
脚本:スティーヴン・セガールジョー・ハルピン
監督:ミヒャエル・ケウシュ

出演:スティーヴン・セガール(ジョン)、スティーヴ・トゥセイント(ラッチャー)、アンガス・マッキネス(バーンズ大将)、マーク・ベイズリー(酒が飲める年齢のリック・ジャニック)、シエラ・ペイトン(ジェシカ)、アルキ・デイヴィッド(ロジャー)、ティム・ウッドワード(ベイツじゃないペンデルトン提督)、ヴィンセンツォ・ニコリ(面構えだけは強そうな悪役ボス・ストーン)、カティ・ジョーンズ(おっぱい要員エリアーナ)、ディヤン・フリストフ(セガールおじさんのスタントダブル)、ゲオルゲ・ザルコフ(セガールおじさんのフォトダブル)