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「チャンバラ狂時代」のブログ。時代劇のこと、その他映画・テレビドラマやら俳優のことなど。
徒然なるままに、時々思いだしたように更新しています。

沈黙の映画評・サイコ野郎はセガールおじさんの方だ『雷神 RAIJIN』

 さて順不同でセガールおじさんのろくでもない映画群を紹介していこうという沈黙の映画評、行き当たりばったり手に取ったものを観ては載せていくとしよう。まず一発目は『雷神 RAIJIN』(2008)である。

 いきなり結論から言ってしまうが、いただけない作品。

 

 セガールおじさんの役どころは、メンフィス市警のジェイコブ・キング刑事。もと特殊部隊とかいった前歴はないが、少年期に双子の弟を殺されたトラウマを持つ。それゆえ異常なまでに犯罪者を憎む性質となっており、過剰なまでに悪党を叩きのめす。ザコ相手でも容赦なく、である。

 って、やっぱいつも通りのセガールおじさんじゃないか。

 目指す敵はシリアルキラーの“グリフター”(マイケル・フィリポウィッチ)及び模倣犯のビリー・ジョー(マーク・コリー)。捜査過程で手がかりとなるチンピラをこてんぱんにやっつけていくジェイコブ刑事。新たな被害者が出ようと、同棲相手の女巡査(カリン・ミシェル・バルツァー)が殺されようと、お構いなし。ただ悪党相手に暴力が振るえればそれでいいのがセガール流。

 ただしあまりにも過剰な暴力の連発に、むしろこのジェイコブ刑事こそ一種のサイコパスなのではないかという逆説的な真実が浮き彫りになっていくのが、セガールおじさん自ら執筆した?脚本の狙い……ではないんだろうけど、ホントそうとしか見えないんだナ。

 

 ちなみにセガール×サイコサスペンスってのはグリマーマン(1996)において既にやった組み合わせで、どう頑張ってもサスペンスタッチにはなりようがなくセガールオンステージの暴力ショーになることは実証済みである。

 しかし本作が圧倒的に「いただけない作品」な理由は、その暴力ショーのお粗末さだ。うるさいまでのカット割りの細かさ、あからさまな吹き替えアクション。時たま申し訳程度に関節技や投げ技が挿入されるものの、基本はブン殴って蹴飛ばす単純な動作の連続で、それもセガール本人の顔を合間に挟んでスタントマンがやるばかり。挙句にスタントマン氏の顔まで映り込んじゃったりしてるんだから、もうどうしようもない。

 

 グリフターが獲物にマーキングして残す占星術のメッセージをジェイコブ刑事が解くやら、FBIから意味もなく女捜査官(ホリー・エリッサ・ディグナード)が派遣されてくるやらの本筋(?)こそが余分なモノでしかなく、ただひたすら暴力刑事が暴れまくる映画なだけに、アクション面がそんな中途半端な代物ではモヤモヤ感が募るばかり。

 おまけに、これは吹き替え不要で太ったセガールおじさん本人が演じられるガンアクションも、異様に命中率が低くモヤモヤする。

 そして全編通じて高まったモヤモヤ感を吹き飛ばすどころか最高潮にまで持っていって終わらせる大蛇足のラストシーン。ぬけぬけと本宅に帰って若い美人妻とイチャイチャするジェイコブ刑事……。セガールおじさんのスケベオヤジぶりが全開になるこのラスト数分は一体何なのであろうか。あ、これこそが主目的だったとか?

 

 残念ながら評価したくともできないのがこの『雷神 RAIJIN』。同じジェフ・E・キング監督による『沈黙の鎮魂歌』(2009)は近作の中ではトップレベルの良作だったのだが、この差は一体どうしたことか。

 頑張って見どころを一つ見つけ出そうとするなら──導入部、模倣犯ビリー・ジョーが生きた女性に仕掛けた時限爆弾を解除するシーンか。

 まさしくこれはセガールおじさんならではの手法で、余人には真似できないウルトラC。それは、

「即座に犯人の居所を突き止め、徹底的に痛めつけて吐かせる」

 という手段。ここが本作最大の山場かつ笑いどころだろう。

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『雷神 RAIJIN』(2008年/加・米)

 原題"KILL SWITCH"=直訳:殺しのスイッチ
 勝手に邦題…『セガールin非情のライセンス

エグゼクティブ・プロデューサー…スティーヴン・セガール、アヴィ・ラーナー、フィリップ・B・ゴールドファイン
プロデューサー…キム・アーノット、リンゼイ・マカダム、カーク・ショウ
脚本…スティーヴン・セガール
監督…ジェフ・E・キング

出演…スティーヴン・セガール(ジェイコブ・キング)、アイザック・ヘイズ(コロナー検視官)、ホリー・エリッサ・ディグナード(癒しキャラのへっぽこ捜査官フランキー・ミラー)、マイケル・フィリポウィッチ(グリフター=ラザラス)、クリス・トーマス・キング(同僚刑事ストーム)、マーク・コリー(一番いい味を出しつつ一番痛めつけられるゲスな悪党ビリー・ジョー)、カリン・ミシェル・バルツァー(セリーヌ巡査)、ウォルコット・E・モーガン(バーで痛めつけられるチンピラ黒人レオン)、ダニエラ・エヴァンジェリスタ(とばっちりを喰う気の毒なバーのねえちゃん)、アンドレア・ステファンキコワ(えせストリップしてジェイコブとイチャつくロシア人妻)、ディヤン・フリストフ・ゲオギエフ(セガールおじさんのスタント)、ニコラス・ハリソン(セガールおじさんのスタントその2)

沈黙の映画評・俺はそれでもセガール映画を観るぞ

 まずタイトルは四方田犬彦の本のタイトル(『俺は死ぬまで映画を観るぞ』)をもじっただけのものであることを初めに断っておく。別にそれほど強い信念がある訳じゃないので誤解をしないで戴きたい。

 アチシが時代劇に親しみ始めたのは、小学校高学年くらいの頃からだろうか。徐々にマニア化の一途を辿り、後戻りのできない冥府魔道へと立ち入ってしまい現在に至る訳だが、それとほぼ時を同じくしてもう一つ恐るべき道に足を踏み入れていたのである。
 洋画ウォッチャーの中には少なからず同じ道を歩む御仁もおられよう、抜け出そうにも抜け出せない「セガール」とでも呼ぶべきものである。

 今はなりを潜めてしまって久しいが、かつて民放各局は洋画劇場の枠を持っており、メジャー大作からB級ゲテモノ映画まで幅広い洋画を毎週放映していた。90年代はアーノルド・シュワルツェネッガーシルヴェスター・スタローンブルース・ウィリスなどのアクション映画がそれら洋画劇場枠の定番だった気がする。

 そんな中に混じってやはり常連だったのがスティーヴン・セガールだ。
 アチシが最初に接したのは(幸いにも)デビュー作である『刑事ニコ/法の死角』("ABOVE THE LAW" 1988年)で、素晴らしくキレのある体術、凛々しくエネルギッシュなヒーローぶりに「この俳優は凄い!」と心から思った。
 当時は「スーブン・シーガル」とか「スティーブン・セーガル」など表記も一定していなかったこの俳優、まことしやかにモノホンの元特殊部隊員みたいな謳い文句で売り出され、実際そうであったとしてもおかしくないような理に適った身体操法、プロっぽい武器捌きを使って独自のアクションワールドを作り上げていた。
 初期作品の『ハード・トゥ・キル』『死の標的』『アウト・フォー・ジャスティス』『沈黙の戦艦など、本当に面白かった。テレビ放映はもとより、ビデオレンタルなどでもセガール映画を求め片っ端から鑑賞したものだった。

 ハリウッドのアクション映画といえばガンアクションに爆発、ひたすら火薬、火薬でドッカンドッカンうるさいものと思ってあまり好きでないのは、アチシの現在に至るまで続く嗜好である(同じ理由で石原プロの刑事ドラマも大嫌いだ)。セガール映画も火薬使用量は結構なものだが、それを上回る体術アクションの美学があり、好きになれたのだ。
 少なくとも、昔は。

 時を経るごとにその肉体を膨張させ続けていくセガールおじさんは、すっかり往時のキレを失っていった。
 アクションも合気道の応用技はどこへ行ったのか、単純な殴る蹴るの連続が多くなり、しかもそれさえセガール本人がやるでなし、スタントダブルを使用。切り返しで本人の顔のアップを挿入するというサボりアクションお茶を濁すようになった。
 ソフトのパッケージや予告編では“セガールアクション”だの“セガール拳”といったアオリ文句が使われるが、冗談言っちゃいけない、特色であった合気道などの格闘技を使わぬアクションはセガールアクションと呼べるもんじゃない。

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 それでもセガールおじさんは性懲りもなく主演作を連発、本国アメリカではビデオスルー作品に落ちていても、日本では根強い人気を保っているため小規模な劇場公開もされ、レンタル点にはお馴染み『沈黙の〜』と冠された新作が並び続ける。
「どうしようもねえなァ」
 半ば呆れた呟きを漏らしつつ、手に取ってしまう。
 観てガッカリさせられるのを承知で、それでも少しでいいからかつてのキレを思い出させるアクションを見出せはしないかと、一縷の希望をかけてブクブク太ったセガールおじさんの映画を観てしまう。観る度に大ブーイングしながら。しかしそのどうしようもなさをこよなく愛しながら。まさしく後戻りのできない冥府魔道だ。
 それでもアチシはセガール映画を観るぞ。

 てな訳で、長年のセガール愛好家の一人として、このブログでも新旧の順にこだわらずセガール映画のレビュー(題して「沈黙の映画評」)を不定期に載っけていこうと思う。
 願わくは、セガール道に踏み込もうとする迷える仔羊たち(注・「沈黙」にかけている訳ではない)たちの手引きにならんことを……。

現時点での最新作はコレか。


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兄弟仁義

 CSに加入していると、つい「リピート放送があるから……」と油断して録画逃しをすることがある。東映チャンネルで任侠映画のシリーズものを随分と予約漏れで逃したものだ。以前は口惜しがったり落胆したりしたものだが、この頃では「またちょっと間を置いて放送してくれるから……」なんて大分厚かましくなってきている。

 それでも録り溜めディスクの確認をしていて「あれっ、これの第一作ってなかったっけ!?」なんて後からショックを受けることもある。

兄弟仁義』も第一作を録り逃していたシリーズだった。プログラム・ピクチャーのシリーズものなんて一策毎に独立した別の話で、一種パラレルワールドみたいなものなので順を追って観る必要などないのだが、何となく『続』から入るのは気分が落ち着かない。そんな訳でこのシリーズ、溜まってはいるものの手をつけられずにいたのだが、このほど日本映画専門チャンネルにてシリーズ一挙放送ということでプログラムに組み込まれ、ようやく一作目を録画することができた。

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兄弟仁義(1966年/東映京都)
脚本:村尾昭鈴木則文
監督:山下耕作
出演:松方弘樹北島三郎宮園純子、安部徹、待田京介、人見きよし、香川良介、村田英雄、鶴田浩二

 弟分(人見きよし)と組んでケチなイカサマ博奕を打っていた流れ者・貴島勝次(北島三郎)。上州は草間の湯元でイカサマを見抜かれ窮地に立つも、鳴子組親分(村田英雄)の度量に救われる。肝胆相照らす仲となった代貸の勇吉(松方弘樹)とは晴れて兄弟分となったのだが、湯元の権利を狙う鬼頭組親分(安部徹)の差し金で鳴子親分は暗殺されてしまう……。

 ご存じ北島三郎の大ヒット曲を受けて作られたそのまんまタイトルの任侠映画。サブちゃんが映画俳優としてはまだ海のものとも山のものともつかぬ存在だったためか、モノクロの低予算作品である。クレジットも松方/北島の二枚看板となっており(サブちゃんはその二番手扱い)、おまけに実質の主役は友情出演扱いの鶴田浩二だったりする。
 親分を殺され頭に血が昇った松方兄ちゃんが殴り込み。しかし果たせず刑務所行き。親分の遺言で一家ともども堅気になったサブちゃん、それでも横車を続ける安部徹親分とサシの勝負で権利書を奪還するのだが、奇襲を受けて無念の最期を遂げる。
 そう、第一作ではサブちゃん死んでしまうのである。これは知らなかった驚いた。んで、出所した松方がリベンジ戦……かと思いきや、足を洗った風呂屋は引っ込んでなはれとばかりに鶴田のオヤジがおいしいとこ取り。サブちゃんの歌唱する『兄弟仁義』をバックにただ一人殴り込んでいくのだった。まるで『昭和残侠伝』池部良がひとり歩きしたが如き展開!
 松方/北島のシャシンではいかにも弱いだろうという興行的な意図が見える作りではあるが、この映画もちゃんとヒットして次作からは名実ともに北島三郎・主演のシリーズとなっていく。その歩み出しの第一作は後年の目から見るとなんだか新鮮なようでもあるのだった。
 薄気味悪い待田京介ヒットマン(こういった役は沼田曜一向きだが)に急襲され相討ちに持ち込んで絶命する鳴子親分の娘には宮園純子が配されており、これがなかなか良かったりする。代貸の松方と恋仲ってのはよくある役回りだが、親分の遺言を受けてのやくざ廃業宣言のあたり、なかなかどうして任侠映画の添え物になりがちな女性キャラクターとしては毛色の違った“もの言う女”ぶり。このあたりは鈴木則文の筆が活きているんではないかと勝手に想像するのだがどうなんであろうか。

男涙の破門状/戦後最大の賭場

 一日一本任侠映画を観ようとか無謀な野望を抱いたって、なかなかできるもんじゃない。しかしコンスタントに観続と思ってりゃ、それなりにDVD消化作戦は進んでいく。
 とにかく任侠映画は、石を投げれば村尾昭に当たるってくらいこの人の脚本が多い。今回観た二本は偶然ながら村尾昭山下耕作のコンビ作品だが、毛色はまるで違っていて面白い。

『男涙の破門状』(1967年/東映京都)
脚本:村尾昭
監督:山下耕作
出演:鶴田浩二待田京介大木実嵐寛寿郎、天津敏、桜町弘子、橘ますみ、村井国夫遠藤辰雄、石山健二郎

 おつとめ中の兄貴分・菊石直治(鶴田浩二)に義理立てし、組の金を持ち逃げした伊之助(村井国夫)を庇って口をつぐんだ向坂銀三(待田京介)は破門される。
 直治が出所したときには、銀三は決着をつけるべく伊之助を追って九州へ向かった後だった。銀三のあとを慕って親分(嵐寛寿郎)の一人娘・おふみ(橘ますみ)も出奔。これを連れ戻す役を買って出た直治の本心は、銀三の真意を確かめることにあった。

 九州で草鞋を脱いだ岡崎一家(親分に石山健二郎)はお約束どおりアコギな敵対勢力・財前組(親分は天津敏)に利権を狙われており、しかも財前組には伊之助が客分として抱えられている構図。
 兄貴分が大事にしている人物だからと思って断固言い訳をせず破門を受け入れる待田京介に、仇敵として鶴田浩二との対決を望みながら切羽詰まった事情を汲んで延ばし延ばしにする大木実など、浪花節的な美学をこれでもかと匂わせる面々に取り巻かれて、主役の鶴田浩二も二言目には「男」の語を振り回す。
 全盛からマンネリ気味に移っている時期に撮られている作品でもあり、任侠映画の一番よろしくない部分が表れた一本かもしれない。男伊達の押し売りじみた部分と言おうか……。
 個人的に、関西弁を喋る役のとき鶴田浩二が発する台詞として、最も魅力的に響く語句は「アホンダラ!」という一言だと思っているのだが、本作ではその一言もどことなく上滑りして響かない印象。

 こうした惰性的になった任侠映画に一石を投じたのが、かの『博奕打ち 総長賭博』(1968年)と捉えられる。脚本を書いた笠原和夫は、著書の中で「分かり合える」のが当然のような侠客同士のやりとりに違和感を抱き、そのアンチテーゼとでも言える「分かり合えな」さから起こる崩壊の劇を作った、というようなことを語っていた。

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 そんな作品の前と後では、他の作家が書く物語もまた影響されて変化するものだろうか。王道パターンの中心核といえる村尾昭の脚本作品でも、がらりと趣きが違うのである。

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『戦後最大の賭場』(1969年/東映京都)
脚本:村尾昭
監督:山下耕作
出演:鶴田浩二高倉健小山明子、安部徹、山本麟一、金子信雄、八代万智子、名和宏、清水元、志摩靖彦、沼田曜一

 舞台は昭和37年の大阪。全国の暴力団が右翼大物の声がかりによって大同団結した「大日本同志会」の関西支部理事・流山組長が急死。その後釜には流山二代目を継いだ本庄周三(高倉健)が妥当とみられたが、本庄を貫禄不足として丸和会会長・岩佐(安部徹)が名乗りをあげる。

 鶴田浩二演じる主人公・五木は、岩佐の子分でありながら本庄とは兄弟分の盃を交わした仲で、おまけに同志会理事長・菊地(金子信雄)の娘婿でもあるという三重の板挟み。これでもかという辛抱立役だ。
 争いたくはないが、立場上、敵味方に分かれざるを得ない二人。鶴田・高倉ツートップの共演作として本作は傑作の部類に入るだろう。
 予定調和に流れるでなく、うまく噛み合わない歯車が悲劇に向かうドラマ性。中でも最もつらい立場に立って死地に突っ込む役どころを与えられているのが山本麟一というのも効果的な配役だ。
 やくざとしての筋を律儀に守り抜こうとしたがために、最も筋の通らない結果を呼んでしまった男が、最後に選んだ決着は、二人の親(親分と義父)を殺すこと。
 ラスト、祝宴の席から廊下に出た鶴田浩二が、鏡に映る自分の血まみれの姿を目にして見せる表情は、『総長賭博』における「俺はただのケチな人殺しだ」の台詞に匹敵するカタストロフィの結晶だ。

コミック陣


 いつもいつも情報が遅い人間だアチシは。
 たまたま旅先の小ぢんまりした本屋さんの店頭で、随分と表紙が反ったものを見かけ、初めて存在を知ったという次第。
 時代劇コミック誌『COMIC 陣』VOL.2(ぶんか社・刊)

 なんか最近の時代劇専門コミック誌はもっぱら叶精作氏がトップバッターみたいになっておるなァ(確かコミック斬とかいうのもあった気が)。
 面白いことにこの雑誌、ほとんどの掲載作品が必殺シリーズ系の裏裁きモノである。
 古い作品を再録した様子の弘兼憲史(!)氏「離れ駒」も一種必殺ふうのクライマックスになっている作品。なかなか徹底している。
 合間には必殺フリークの先達・山田誠二氏によるコラムもあり、充実の誌面。
 そして何より(これが一番の購買動機だったのだが)、付録として時代劇DVDが添えられており、この2号に付いているのは江戸中町奉行所第1シリーズ第1話ではないか。
 清水健太郎が出演しているおかげかBSジャパンあたりでもさっぱり再放送されず、長い間お蔵状態の作品。丹波哲郎センセイの勇姿を少しでも多く拝みたいアチシにしてみれば垂涎の作品だったものだ。それが1話だけでもエンバン(DVD)になって視聴できようとは!

 内容としては必殺亜流と言うべき長崎犯科帳あたりを松竹/京都映画に逆輸入したような格好だ。
『斬り抜ける』で京都映画の撮影所に馴染み、必殺でも度々活躍した近藤正臣が主役を張り、この人独特のキレ味鋭い殺陣を見せる。近藤正臣のチャンバラって、アチシはかなり好きである。本作では元締……いや奉行の丹波哲郎が放った腕試しの密偵・神崎愛との一騎討ちが、ド迫力。
 また神崎愛ってのも通好みと言おうか、たまらぬキャスティングである。主題歌まで彼女による歌唱って……誰かプロデューサー陣にご贔屓筋でもいたのか? いたとしてもおかしくはない、稀有なフェロモン女優さんだ。
 石原興監督による凝った画作りで繰り広げられるチャンバラショー的な初回、これのみでもお目にかかれて嬉しいが、やはりこうなると全話観たくなってくるのが人情。どこかでの再放送が待たれる作品である。時代専門チャンネル、やってくれんのかなァ。

 尚、勝手にではあるが関連リンクとして叶精作氏、山田誠二氏のブログ記事を下に附させて戴く。


叶精作オフィシャルブログ - (2017/07/05)【時代劇コミック誌「陣」(じん)は本日発売です】 https://ameblo.jp/kanouseisaku/entry-12289844833.html
作家・山田誠二のブログ - (2017/07/05)コミック陣に中町奉行所! http://yaplog.jp/1392965/archive/687

博徒斬り込み隊


 任侠映画を消化していかなきゃ、などと思いつつ全然果たせないでいる。コツコツ鑑賞していくにはあまりにも量が溜まりすぎている。何もかも。
 いいさ、ノンビリやればと開き直りたいところだが、後から後から録画予約の時間は迫ってハードディスクの容量を空けていかなければならない。

 そんな中で余暇を見つけては、少しずつ色々と観ている自転車操業(?)的な映画ライフ。
 シリーズものを体系的に云々とかいった考えは捨てて、ランダムに思いつきで手に取って観よう、とその第一号に当たった作品は、

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博徒斬り込み隊』(1971年/東映東京)
脚本:石松愛弘佐藤純弥
監督:佐藤純弥
出演:鶴田浩二丹波哲郎室田日出男、工藤明子、渡辺文雄、山本麟一、今井健二、諸角啓二郎、河津清三郎若山富三郎

 任侠映画と呼ぶには、ちょいと違う作品だった!
 しかしこの時期、昭和四十年代後半入りかかった頃の東映東京ってのは、なかなか面白いんである。
 それ以前のギャングものの流れを組むような暴力モノが多く取られ、深作欣二佐藤純弥ら気鋭の若手が大いに気を吐いていた。京都で取られている着流しやくざモノとは一線を画する、背広やくざの物語。
 義理と男伊達の美学を押し出す京都“任侠”映画に大して、東京“暴力団”映画は、時に政略的で時にドライだ。
 とりわけ1971〜72年は暴力団再武装』『博徒外人部隊』『人斬り与太 狂犬三兄弟』といった傑作が集中し、仁義もへったくれもないやくざの世界を画面に叩きつけて、翌73年いよいよ迎える実録路線開幕の土壌を着々と育んでいた感がある。
 そう東映東京育ちの深作欣二が、任侠路線がその灯火を消しかかっている京都に乗り込んで監督した、その名も仁義なき戦いでガラッと流れを変えてしまうまでの過渡期段階が東京で進んでいたのだ。

 71年公開のこの『博徒斬り込み隊』も、やはり一連の過渡期的作品として興味深い。何より面白いのは、ヒロイックな義理の漢が最大のハマり役である鶴田浩二が、相当ダーティなのである。
 鶴田浩二演じる相羽が、おつとめを終えて出所してみたら母体の組は解散しており、敵だった巨大勢力がのさばるばかり。慕ってきたチンピラ(小林稔)の死をきっかけに赴いた東北で、愚連隊に毛の生えたような一家へ客分としておさまるのだが、ここにも巨大勢力の手は延びてくる。
 おまけにその敵対勢力一家へ接触。暴力団根絶を目論む警察はこれを好機とばかり、敢えて火が立つのを待つ……。

 こんな構図の中、相羽は人手を利用して個人の報復を進めるような立ち回りを見せる。草鞋を脱いだ一家の親分・山本麟一がいちばん損な役回りである。
 そして相羽はいつでも窮地に他人の死を代償に助かる。本人の作為ではないようでもあり、計算づくのようでもある。いや、全体として見るとかなり計略家なのだ。
 いつもだったら鶴田浩二のラブシーン相手がお決まりの工藤明子も、今回に限っては相羽に憎しみをぶつける他者である。「ひとごろし」呼ばわりをした直後に、これまた銃撃の巻き添えを喰って絶命する。

 とにかく珍しい鶴田浩二を見た、という思いでいっぱいだ。むろんドライすぎる奴ではない。そもそもの動機には組への義理というものがあろうし、山本麟一親分への義理も相当に立てている。不浄デカの若山富三郎とのやりとりも、腐れ縁からなる友情じみたところまで行く。
 が、やっぱ本作の鶴田浩二は、めちゃんこイケ好かない奴だと断言できる。こんなイケ好かない鶴田浩二が発現したのもまた、他ならぬ“過渡期的作品”だからこそだ。

 究極的なドライさ、計算高さ、悪賢さの面を一手に引き受けているのは丹波哲郎演じる榊警視正。このあたりの反権力カラーなんかも実に東映東京らしさを感じさせると言おうか……。
 ちなみに大がつく程の丹波哲郎ファンという立場から本作の感想を述べるなら、迷わず

「最高」

 と言う。
 ラストシーン、文句なし!

時代劇ライフ2017年4月


 大好きな作品を全話観終えてしまう悲しさったらない。残り3話、残り2話、1話とカウントダウンしていくときの思いは何とも形容しづらい。
 アチシの主食(?)はテレビ時代劇なので一話完結のものが多く、連続した物語が終わりに向かっていくというのではないが、それでも全て観終えた後の、心にぽっかり穴が開いたような気持ちは寂しい。

 2クール26話とかそれくらいの量を一体どれだけ時間かけて観てんだって話だが、この4月で『ご存知女ねずみ小僧』『お耳役秘帳』を観了。メモにある初回の視聴日を見ると2015年3月とか2016年5月とか……2年や1年がかりかい!
『ご存知女ねずみ小僧』は男ねずみ・三国連太郎がどうにも作品のカラーに最後まで馴染みきれていないようでチグハグな印象が拭えない上、少なからずイマイチな脚本もあったりして「なんだかなァ」な感じだったのだが、それにしても主演・小川真由美の唯一無二の存在感、橋場清の音楽など、好きな作品である。これで小川真由美の女ねずみは全て観てしまったと思うと──いや、映画『ねずみ小僧怪盗伝』があるか?

『お耳役秘帳』は何から何まで文句なしの傑作。大半の回を執筆しているメインライターは和久田正明センセイで、期待を裏切らぬクセのある変化球には毎回楽しませてもらえたし、他にも竹内勇太郎、中村努ら諸氏の担当回も名篇多し。
 そしてエンディングを飾る主題歌「陽かげり」のカッコよさといったら! アチシが本作に一発でマイッたのはズバリ言ってコレだった。主演・伊吹吾郎による歌唱、吐き捨てるようなサビ部分の歌詞に痛いほどの共感を覚えうるうるしてしまうアチシもやっぱり日陰を突っ張って歩くはぐれ者である。

 女ねずみロス、お耳役ロスで少々おセンチになっているアチシを次に襲うのは。ホームドラマチャンネルでそろそろ終わりを迎える『必殺必中仕事屋稼業』ロスであろうか。しかしこれを通り抜けぬことには通称“村尾昭最終回三部作”の検証はおぼつかない。
 村尾昭もまた偏愛の域に近づきつつあるライターのひとりだ。この人の打ち出す“滅びの美学”には非常に惹きつけられる。
 たまたま、であるがひもといていた俊藤浩滋のインタビュー本『任侠映画伝』で改めて気づかされたのだが、任侠映画の主要シリーズ、大半の作品を執筆しているのは村尾昭なのである。ビッグネームは笠原和夫高田宏治あたりだろうが、残した足跡の多さから村尾昭という名も忘れてはならない。
 数が多いのは言い換えれば大きな枠組みの中でそれに沿ったものを量産した便利な職人、ということになるのかもしれないが、決してそう簡単に片付けていい人でないだろう。名作と名高い加藤泰監督の『明治侠客伝 三代目襲名』(鈴木則文と共作)や、世評こそ取り立てて高くはないものの任侠映画中では相当高い水準を誇っている『傷だらけの人生』など、いずれも(任侠映画のドラマ展開では必然的といえる)情と義の相克、しがらみから発するカタストロフィの描き方はピカイチである。そしてその手法は、テレビ脚本に移ったのちも巧みに活かされている。
『必殺必中仕事屋稼業』など最たるもので、母であることを隠した元締・おせい(草笛光子)の政吉(林隆三)に対する思いと稼業上の掟とがぶつかり合うドラマ性はまさに村尾脚本の独擅場なのである。

 東映チャンネルに加入しているおかげで任侠映画も大分録画が溜まってきている。ここらで村尾昭の仕事を追う意味を兼ねて一気に消化していくのもいいかなァ、などと思っている。