ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
「チャンバラ狂時代」のブログ。時代劇のこと、その他映画・テレビドラマやら俳優のことなど。
徒然なるままに、時々思いだしたように更新しています。

時代劇ライフ2017年3月

 3月は時代劇専門チャンネルにて念願の萬屋錦之介・主演仕掛人梅安』を拝見。藤枝梅安モノでこれだけがお目にかかる機会に恵まれていなかった。怪作との評判は知っていたのだが東映チャンネルでもなかなかやってくれず、此度の没後20年企画でようやく時専のラインナップに載ったのでもう飛びついた次第。
 いやァ、聞きしに勝ると言おうか……伊丹十三がとんでもない重量感を持ったドロドロ近親相姦愛憎劇。その「あにさん」に依存した妹が小川真由美って、これまたエグいキャスティングだ。いま一人の異母兄を演じる中村勘五郎もヨロキン版鬼平犯科帳における葵小僧が印象深かった人。仕掛けのシーンで何故か突如クマドリが現れるヨロキンの外連味を以てしても吹き飛ばしようのない強烈な悪が相手で見応え充分であった。しかし池波先生は怒ったろうなァこういうゲテモノ臭いのは。


 そうヨロキンは3月10日没。先月は丁度20回目の命日を迎えたのだ。各局特集を組んでおり、時専なぞは7ヶ月に渉って特集を組んでくれるようなので、今後もアチシが未見の『日本犯科帳』シリーズなどやってくれるに違いない。一番見たいのはヨロキンが助演に廻っている作品だが弐十手物語だ。ヤング層を狙って大コケしたというが時を経れば意欲作として評価すべき点が見られそうで、非常に興味がある(とか何とか言って、どうせ山本みどりのヌードが目当てだろうって? その通りです)。
 さりながらヨロキン主演作はかなりの量を既に録画してディスクとして持っているので、法要の意も込めてこれらを掘り起こしあれこれ視聴。さながら“ヨロキン月間”のようになった3月であった。

 破れシリーズは、やはり『破れ奉行』が最もブッ飛んで痛快な気がするが、続く『破れ新九郎』もどこか突き抜けた感じがして面白い。
 小鳥・金魚から牛・馬まで何でもござれ、ただし人間お断りの獣医さん・新九郎は、「人間じゃねえ」悪党どもを斬りすぎて人そのものがやんなっちゃった刀舟先生のなれの果てか?
 と言うよりむしろ、同時期に目の死んだ役者ども(その中にはミフネも含まれる)に嫌気が差し、鷹を主役にと江戸の鷹 御用部屋犯科帖』を書いた池田一朗の思いが多分に出ている気がしてならない。
 役者が、映像が表現できるものの限界を感じて脚本の世界から離れていくことになる池田一朗の眼差しからすればミフネだろうがヨロキンだろうが納得のいくものはできなかったんじゃないのかなァ。ワンワンニャアニャア、キィキィコケコッコと動物だらけの『破れ新九郎』からそんなことを思うのは深読みのしすぎというものであろうか。
 ともかくも池田一朗が、温厚なルックスの内に恐るべき烈しい精神を秘めていたのは後年「隆慶一郎」名義で書いた一連の小説群が示す通りだ。

 萬屋錦之介中村錦之助特集は当然ながら東映チャンネルでも組まれているが、ラインナップは『若き日の次郎長』シリーズや『源氏九郎颯爽記』『一心太助等々、最近やったものばかりの印象。こちらとしては小さい頃観て最高に楽しかった『殿さま弥次喜多シリーズをやってもらいたいのだが……。


 このところハードディスク整理は少し落ち着き、録り溜めたDVDを視聴する時間が大分取れているようになってきている。村上弘明・主演の月影兵庫あばれ旅』やら影同心シリーズ、松方弘樹名奉行遠山の金さんなどをちょこちょこ観るほか、大半の時間を充てているのが実は暴れん坊将軍シリーズ横断視聴。第1シリーズである『吉宗評判記』からVII、VIIIといった後期シリーズまで手当たり次第にばんばん再生している。
 ワンパターンだマンネリだと言われようが、様々な脚本家が手を替え品を替え毎回の筋を捻り出して作っている訳で、やっぱり面白いものは面白いのである。大きくひとくくりに片付けてしまわないで、拾い上げるものは拾い上げたいものだ。
 またシリーズ横断していて分かるのは、主役・松平健のチャンバラ熟練過程。最高に脂が乗っていると感じるのはII後期あたりで、師匠(カツシン)の座頭市ゆずりという訳ではなかろうが身体の回転は実にキレがあるし、刀身の描く弧の美しさはちょいと近衛十四郎っぽく思えたりもする。

 近衛十四郎といえば、この人は没後40年を迎える。東映チャンネルでは来月(5月)に『雲の剣風の剣』『薩陀峠の対決』といった未ソフト化のお宝をやってくれる模様(後者はチャンネルでも初とのこと!)。有難いのは有難いが、ついでにテレビ版柳生武芸帳現存の第1話も放送してくれんかなァー。


 かくも時代劇に魂を売って日々を送っているが、実のところ生活は火の車であんまり食えていなかったりする。まァ何とかなるか、の精神で今日もパン耳を齧り、じっと手を見る。

時代劇ライフ2017年2月


 今年は山本周五郎生誕100年、萬屋錦之介没後20年やらで各局あれこれと特集が組まれている。ヨロキンがそうだということは、カツシンもミフネも西村晃藤沢周平も没後20年ということだ。日本映画専門チャンネルでは伊丹十三特集も組まれている模様。
 そんな絡みで、ホームドラマチャンネルに於いては高橋英樹主演『ぶらり信兵衛 道場破り』(山本周五郎『人情裏長屋』が原作)がスタート。評判高い傑作を初めてお目にかかれ、同チャンネル『必殺必中仕事屋稼業』開始と併せ嬉しい悲鳴の重奏になった。
 高橋英樹の信兵衛は1995年に単発スペシャルで『お助け信兵衛人情子守唄』のタイトルでも作られているが、これもホームドラマチャンネルにて放送。「高橋英樹傑作時代劇スペシャル」と銘打たれた95年日テレの単発もの3作のうちのひとつで、他の『騎馬奉行がゆく』『ひらり又四郎 危機一髪!』時代劇専門チャンネルではしょっちゅうラインナップに載るというのにこれだけちっとも放送されない作品だった。
 近年BSプレミアムで制作された高橋克典ヴァージョン『子連れ信兵衛』もほのぼのしていて良かったが、その元祖たる『ぶらり信兵衛〜』も実に心温まる良作だ。ボニー・ジャックス歌うところの主題歌はついつい口をついて出てしまうイイ調子だが、アチシはこのメロディー、歌っているとどういう訳か途中から人類が木星に着き始めてしまう。ピテカントロプスになる日も近かったりするアレである。

 時代劇専門チャンネルには変身忍者嵐が登場。牧冬吉がいつものポジション(遁兵衛さんや白影さんのような)で出演している特撮時代劇で、てっきり京都制作なのかと思っていたが初めて観てびっくり、東映東京の作品だったか。ナレーターは中江真司だし悪の大ボスの声は納谷悟朗だし、全く仮面ライダーと同じ作りではないか。
 しかしこの「時専25時」枠、こののち快傑ライオン丸なんかもやってくれるようだ。そのうち目黒祐樹主演の怪作『参上! 天空剣士』とその後番組鞍馬天狗、それから日光江戸村制作の『姫将軍大あばれ』なんかもやってくれんかなァ。

 時代劇ライフの延長線上でちょこちょこ鑑賞しているのが芦屋雁之助主演の裸の大将放浪記だ。第1回は中村勝行の脚本、ゲストに原田美枝子で泣かせてくれる。第一期ともいえる13話まで(山下清一代記のような形で、第13話は清が死んでしまうため再放送では欠番になっているらしい。DVD-BOXを買わないとこの欠番回はお目にかかれない!)は山田隆之が主に脚本を書いている。毎回、知り合って人の心を浄化して絵を残し「さようなら〜」と別れていく展開は、なんだか『ゲゲゲの鬼太郎』で虫たちが鬼太郎さんを讃えてゲゲゲの歌で見送るラストを彷彿とさせる。
 それにしても毎回、清が恐れる巡査さんには、藤木悠やら山田吾一藤岡重慶などイイ感じの顔ぶれが揃えられている。

 ただでさえ大量の時代劇によって圧迫されているハードディスクを、さらにじわじわと侵蝕するのは刑事ものやらアクションドラマ。殆どが脚本家目当ての録画なのだが、今月はBS11にて『大都会PARTIII』和久田正明執筆回をチェックできた。人間ドラマとして見応えがありすぎるほどにあった『大都会 闘いの日々』の後“考えることをやめ”ドンパチ一辺倒になった石原プロの刑事ドラマは、銃撃戦にカーチェイスに爆破と五月蝿くって好きじゃないのだが、和久田センセイが書いているとあっちゃァ観ずにいられない。てな訳でピンポイント視聴した#46「反逆の殺し屋」、成瀬正演じる兇悪な殺し屋に黒岩軍団が翻弄されっぱなしの快作であった。取調室で痛めつけられている藤山浩二も個人的に嬉しいキャスティング。

 同じく和久田脚本が目当てで『ハングマンGOGO』のためチャンネルNECOを契約。必殺同様すっかりバラエティ化してしまっている1987年時点のハングマン。モルモット小父さんのイジメ方とか、バラエティ嫌いのアチシにとっちゃ胸が悪くなってくるノリだァ。しかし主題歌、80年代アレンジの「だまって俺について来い」(歌唱・火野正平!)は絶品。
 NECOはむしろ今月(3月)に入って一挙放送が始まった『新ハングマン』を楽しむとしよう(こちらも和久田センセイ登板あり)。何しろゴッドは天知茂、出演は初回のみとはいえ毎回のオープニングナレーションは鳥肌モノの格好良さなのである。
 東映チャンネルでは『プレイガール』全話放送もスタート。これも村尾昭・和久田正明師弟の脚本回があるとはいえ、どうやらかなり終盤のほうらしい。初頭は山崎巌や松浦健郎といった日活系ライターの仕事を拝見といくか。


 当月の話になるが、亡くなった松方弘樹の追悼として、時代劇専門チャンネル名奉行遠山の金さんスペシャル版を3本放送。こんな形で観ることになろうとは思ってもみなかった。
 コンスタントに視聴している長七郎江戸日記スペシャル版と同様、金さんスペシャルも大概は小川英・胡桃哲あたりが担当しているため、ネタのかぶりを発見できたりと益々面白い時代劇ライフを楽しめるようになってきている。
 って、こういう楽しみ方は間違っているよなァ。
 金さんスペシャルに関しては、即時ホームページへ上げる予定。

時代劇ライフ2017年1月


 この1月は時代劇専門チャンネル『啞侍 鬼一法眼』ホームドラマチャンネル『必殺仕事屋稼業』と傑作ラッシュで嬉しい悲鳴。時専は必殺シリーズの枠を持ちながら仕事人やら後期シリーズばかりやっているので、助け人→仕事屋と初期の名作を続けてくれるホームドラマチャンネルが有難い。
 加えてBS朝日でも『暗闇仕留人』を放送してくれたので、昨年録り逃したぶんを補完。全話コンプリートすることができた。
 また、スカパー!アニバーサリーイヤーの特典で1ヶ月間無料視聴の恩恵に預かった衛星劇場では、三船敏郎国定忠治(1960年東宝)を拝観。三室の勘助親分を東野英治郎が演じていて実に良い。


 こうやって書いていて判る通り、わがテレビ視聴(というか録画)ライフは完全にBSとCSのみによって構成されている。
 それもそのはず、当家のレコーダーには衛星アンテナしか繋がっておらず、地上波は入ってきていないのである。

 そもそも“テレビをみる”習慣がない。
 漢字にして「見る」よりも「観る」ほうが主であるから、明確に観ようという意思があって再生するものがない限り画面はつけたくない。垂れ流しにしておくことを目的として存在しているような文化としてのテレビには、あまり用がない。
 だから当家のテレビは、テレビであってテレビに非ず。ビデオ用モニターとでも称するのがいい。主体はレコーダーのほうかもしれない。
 アチシの「観たいもの」はほぼ時代劇だ。そして地上波には「観たいもの」が殆ど流れていない。だから、アンテナを繋ぐに及ばない。
 それだけのことだった。

 ところが困った。ここへきて地上波で、どうしても録画保存したいものができてしまったのである。
 テレビ愛知で平日15:30〜放送の裸の大将放浪記。ちょっと前にBSフジでやっていたときは全くノーマークだったのだが、これ、アチシの偏愛脚本家・山田隆之がメインでシナリオを書いているではないか。80本以上あるシリーズをどれだけやってくれるか判らないが、この先どこかBS局などで流してくれるかどうか知れたものではないので、この機会を逃したくない。
 てなワケで2017年1月。わが家のテレビには、ただ『裸の大将〜』のみを目当てとして地上波アンテナが接続された。これによってアチシのテレビ視聴生活に変化は起こるのであろうか……たぶん変わんねェだろうなァ。
(※『裸の大将〜』は観てびっくり、初回ライターは中村勝行、演出は主に松本明と異様に『必殺』色が強い座組みだ。他局作品ながらクレジット差し替えもなくちゃんと「KTV」表記を残したまま放送しているのもエラい!)


 いつもながら録画報告ばかりのようなブログになっている。
 常に容量ギリギリのHDDからDVDに移して……と自転車操業をしているため、なかなか腰を据えて観るほうに廻れないのが本末転倒だが、かなりの話数が手中に納まっている暴れん坊将軍長七郎江戸日記など、長寿モノを中心にデータ採取は進行中……今年こそはホームページも内容を充実させていかねば。

 録画の処理で手一杯のクセに、よそへ目を向けつまみ食いも多々。
 YouTubeはじめ動画共有サイトにも拾い物があって、レコーダーのダビング動作中などに手を出している。
 せんだってこのブログでも触れた松方ダンナの大忠臣蔵Dailymotionにてダイジェスト版を観ることができた! 中身はサワリだけみたいなものだが、わが主目的たるクレジットロールがきちんと入っていたのは有難い。さっそく「テレビ時代劇資料庫」に反映。
 松方弘樹主演・1994年TBS版『大忠臣蔵』の詳細なスタッフ陣をまとめてあるサイトはうちだけですヨ!と謳っておく。

巨星墜つ 追悼・松方弘樹


 とうとう亡くなってしまった……。
 闘病中の報に触れ、「松方ダンナへのエール」と題した記事を書いたのは昨年3月だった。
 復帰してピンピンした姿でまたあのヤクザ殺法いや殺陣を見せてくれるものと信じていたが、病には勝てなかったようだ。
 享年74歳。今の世にあってはまだまだ若いのに、残念でならない。

 21日に亡くなったとのことだが、偶然といえばあまりの偶然。丁度その日は、松方弘樹が唯一水戸黄門にゲスト出演した第41部#11、12を観ていたところだった。
 ヤクザ臭いの安っぽいのとあれこれ言いながら、結局のところ大好きな役者さんだ。以前、暮れになってその年に鑑賞した映画で誰の作品が一番多かったか集計してみたら、松方主演作が断トツ一位なんてこともあった。

 自分の中では、これで最後のスターが亡くなってしまったという感がある。
 過去の出演作を観ながら、今後はもう新作を観ることができないのだという思いを噛み締めなければならない。本当に辛い。

 松方のダンナ、安らかにお眠り下さい。
 ご冥福をお祈りします。

チャンバラ狂時代 事始(2)


 時代劇のキャストデータを蒐集し、サイトにアップするようになって幾らか経つうちに、次第と興味の方向が変わってきた。

 表に立って脚光を浴び、功績も残りやすいのが出演者=俳優だ。
 その俳優でも主役格より脇役、悪役の人たちが好きなのはへそ曲がりな性分のせいなのかもしれないが、今度はそれよりも、もっと脚光を浴びることの少ない人たちに目が向くようになった。
 出演者よりも、制作に携わったスタッフ陣の仕事に興味が強くなったのだ。
 これには枕頭の書として貪るように読み続けている能村庸一・著『実録テレビ時代劇史 ちゃんばらクロニクル1953-1998』(1999年1月/東京新聞社)の影響が多分にあるかもしれない。
 それまでキャストを主とし、僅かに脚本・監督のみ記すに留まっていたクレジット写しは、残さず全てのスタッフまで写すようになり、いつしか心境としてはキャストがおまけでスタッフがメインのようになってきた。

 知ったからといって一文の得にないかもしれないのに、知りたくて仕方がない性分は、「この技師がこんなところでも仕事を!」とか「この人は○映の出身だがフリーになって○○プロでこれこれの作品にも参加して……」とかいった“情報”を掴むのを無上の喜びとするに至ったのである。

 ここから派生して、資料を参照し不完全ながらその経歴や関係事項などを記していく「時代劇スタッフ人別帳」なるページが誕生した。
 諸資料からの孫引きずくめで、先人の仕事をつまみ喰いするばかりの愚かしいページに過ぎない。が、どうにもやらずにいられない気持ちで手を染めたものだ。
 わけても、映画と比べてまだ再評価の声が低いテレビ作品に研究(?)の意欲が強い。
 たとえば誰か監督を扱った書物などにおいても、参考資料としてフィルモグラフィは載せられているがテレビ作品についてはほんのついでのように添えられているか、あるいは全く触れられていない、なんてものもある。
(そこへいくとワイズ出版の書籍はさすがの一言に尽きる。テレビ担当作も網羅した巻末資料は圧巻だ)
 映画の全盛期には間に合わず、テレビドラマを主戦場としたスタッフについては、はなから足跡を顧みようともしない風潮さえあるのでは、なんて気もする。

 確かにお偉い評論家センセイなどにとっては、一夜限りのテレビ番組は考察するに値しないのかもしれない。しかしそこにだってスタッフ陣の労苦の結晶としての作品が存在している訳なんじゃァないか。
 へそ曲がり気質が、より一層こんな作業への意欲を燃やしているらしい。
 だから、どちらかというとここでは映画よりもテレビで活動した人たちを主に据えて取り上げる傾向が強い。

 資料繰りよりも、実際に関係者へ当たって……の調査が本当なのだろうが、なにぶん学もなければ肩書きのカの字も持ち合わせていないぼうふらのようなアチシである。なかなか踏み出す度胸が持てずにずるずるとやっている。
 そろそろ動き出しては……と、もう一人の自分がしきりと発破をかけてくる。


[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

実録テレビ時代劇史 [ 能村庸一 ]
価格:1728円(税込、送料無料) (2017/1/12時点)


チャンバラ狂時代 事始(1)


 人がものを知りたがるのは何故か。知ったからとてどうなるものでもない事柄にしても、知らないと気が済まない。そんな心理があるのは、教養主義かぶれたインテリもどきや研究を生業(なりわい)とする学者先生だけに限らないだろう。
 知識を欲せずに生きていく人もいるが、ひとたびこの病?に取り憑かれたら、脱するのは難しい。
 情報化社会とやらいうものも、そうした知識欲の上に成り立っている面が多分にあるだろう。


 アチシがホームページ「チャンバラ狂時代」を作り始めたのも、元々はそんなところから端を発している。
 先にも書いたとおり、割かし早くからインターネットの恩恵に預かっていた人間だから、映画やテレビドラマについても「検索」を取っかかりにそれからそれへと知識を広げられた。昔日のマニアに比べて、何とお手軽に出来上がった人間であることか!

 こんにち、何か気になる作品タイトルを打ち込んでサーチボタンをクリックすれば、出てくるのはウィキペディアなり専門情報サイト(allcinema、moviewalker、日本映画データベース、テレビドラマデータベース……)はもちろんだが、他に上位を占領するのは通販サイトのソフト情報がずらずらと嫌になるほど。
 アチシがインターネットを利用し始めた十数年前は、もっと他に色々な広がりを持った検索結果が拾えた気がする。
 それは主として個人サイトでディープに語られた文章で、マニアックな世界に踏み入るにあたって随分と助けになったものだった。が、こうしたものは“情報の精度”が高まった現在、どんどん下位に追いやられる傾向がある。
 なにしろ通販サイトや配信サービスは、
「実利を伴っている」
 ものであり、そのため上位に喰い込むべく戦略が練られているのであろうから。

 でも、知りたがりの人間が、これこれこういった作品にはどんなストーリーでどの役者がどんな役どころで出ていて……とか細かい“情報”を欲するとき、いま検索エンジンの弾き出す結果は、ちっとも望みのものをもたらしてくれなかったりする。


 受け手として欲しいものを、送り手として発信する側に回りたい気持ちが、ホームページ開設の引き金になった、と言おうか。
 ただアチシは若輩だし何より鑑賞の絶対量も少なく、いわば情報的視野狭窄の身だから、作品に対する気の利いたコメントも深い考察もできよう筈がない。
 せめて俳優陣の足跡を記録するべく詳しい役柄備考を含めたデータ作りを……などと思い、キャストクレジットをもとに補足を書き加えたものをちまちま載せ始めたのが、現在ホームページにある「テレビ時代劇資料庫」の原型である。

 投稿をもとに幅広く情報を包囲したページにしようとすればできるのだろうが、どうも自身の目で確認したものしか載せたくないという偏狭な心持ちがあり、かくも遅々とした更新ペースになっている。
 しかもキカイをいじるのが億劫ときているから、ますます更新は滞る。
 人手を借りて打ち込みを手伝ってもらったりしたこともあったが、ここでも「自前尊重」の意識が邪魔をして、結局オール・セルフに落ち着いてしまった。

 キャストデータでは、東映系作品だとノンクレジットの脇役諸氏までも確認できる限り拾い上げたい思いがあり、いよいよ作業は進まない。

(この項続く)

啞侍 鬼一法眼#1-2


『啞侍 鬼一法眼』(1973-74)
出演:若山富三郎勝新太郎、瞳順子、レイ・ロイド
#1(サブタイトルなし)
脚本:高橋二三
監督:勝新太郎
ゲスト:ジュディ・オング天本英世、須賀不二男、藤岡重慶、寺島雄作、長谷川弘、北村英三、伴勇太郎

#2「くちなしの子守唄」
脚本:高岩肇
監督:安田公義
ゲスト:太地喜和子、富川晶宏、岸田森、杉山昌三九、守田学哉、梅津栄、市川男女之助、田島義文、浜田雄史


 夜は早く寝て朝早く起きるほうが好きな性質なのだが、時代劇専門チャンネルときたら夜の11時からとんでもないものをやってくれているので、なかなか理想はままならない。
 さすがに番組表の上では「啞侍」のワードが削られているが、よくぞやってくれたという怪作、若山富三郎・主演『啞侍 鬼一法眼』である。
 CSでもまず放送されることはないだろうから、海外版のDVDボックスを買わないとお目にかかれないだろうナと覚悟を決めていた作品だっただけに、感激もひとしお。絶対に録り逃すまいと気合を入れている。
 という訳で、ホームページの「テレビ時代劇資料庫」にさっそく#1-2のキャスト・スタッフデータをアップした。即時性乏しき弊サイトとしては異例のスピード更新だ!


 ヨロキンに当たり役・拝一刀を奪われお冠の若富先生を鎮めるべく用意されたという番組、いきなり弟による才気走った演出が炸裂する初回は、復讐鬼たる鬼一法眼の経歴をさらっと説明(ナレーションはムツゴロウさんこと睦五郎だッ)して本筋に入っていく。
 ちなみに賞金稼ぎたる鬼一法眼の仕事ぶりを見せる導入部、兇悪なご面相の賞金首が文字通り首ちょんぱされているが、スキンヘッドをトレードマークとする伴勇太郎が原型留めぬメーキャップを施されており必見である。

 父母を殺し許嫁を犯し、自身の喉を斬り裂き声を奪った仇敵・ゴンザレス(レイ・ロイド)を探し求める鬼一法眼は、南蛮寺の祈祷師(天本英世)を刺客から救い、用心棒に雇われる。ところがこの祈祷師、長崎の顔役たちを牛耳る元締め格だった。
 南蛮寺で働く健気な娘・お菊(ジュディ・オング)ともども鬼一法眼を利用し江戸まで阿片の運び屋に仕立てようとする奸計のため、お菊の祖父(寺島雄作)は首吊りを装って殺され、骨壷に隠された阿片は祈祷師の上前をハネんとする顔役連中の差し向けた刺客に狙われる。

 例によってどのシーンも演者が話の筋を知らされてないんじゃないかってな、つくりものドラマとしては異質とも思える芝居が随所に見られるカツシン演出は、画面から目が話せない緊張感を孕んでいる。
 その緊張感のなか少しも動じていない風で抜群の殺陣を見せるお兄ちゃんを前にしては、意味ありげにウロチョロする“卍”カツシンもカタなしだなァ。

 そんな異様な歯応えのある初回を前にすると、旧大映のベテラン・安田公義がメガホンをとった#2はいかにもオーソドックスな印象は否めない。太地喜和子岸田森もカツシン演出のなかで見たかった気がするが……。

 ひと仕事終えて稼いだ品川の宿で人殺しに行き遭う鬼一法眼。遺された幼い三吉少年(ワカトミ一刀と映画で組んだ大五郎・富川晶宏である!)に父の死を知らせまいとする優しいおじちゃんぶりがイカした若富先生だが、あくまで目的は仇敵探し。“卍”が何やら探っているらしい異人屋敷にゴンザレスという異人が逗留していると知って乗り込む啞侍には、品川奉行所のお偉いさん(これも旧大映人脈の杉山昌三九……まだこの頃も活動していたのだなァ)が差配する悪事なんか知ったこっちゃァない。
 ただし三吉坊やとその父殺しの下手人を憎むご近所の姉ちゃん・おさよ(太地喜和子)に火の粉が振りかかったときには怒りの剛剣一閃、悪党一味はバタバタとなぎ倒されるのである。
 刀を渡せと迫られる場では初回と同様に鞘の仕込み短剣がモノを言う。編笠のバックミラーといい奇天烈なギミックはやはり劇画原作。