中村プロのこと
毎日録画したテレビ時代劇のチェックをしていれば、当然ながら制作母体として最も強かった東映系のものを多く視聴することになる。
東映でなくとも、松竹や映像京都、勝プロなど、やはり京都の撮影所、スタッフによる作品が大きい比重を占める。
しかしここ数年、自分にとって興味の対象となっているのは、東京で制作された一連の時代劇、すなわち東宝(松本幸四郎・丹波哲郎・萬屋錦之介版『鬼平犯科帳』『江戸の旋風』『おらんだ左近事件帳』など)や国際放映(『無用ノ介』『大盗賊』『旅がらす事件帖』など)、そして三船プロ(『大江戸捜査網』『荒野の素浪人』『隠し目付参上』『江戸の牙』・・・・・・)による作品群である。
ホームページでちまちまと更新しているテレビ時代劇資料庫だの時代劇スタッフ人別帳だのといったコーナーも、いきおいその周辺にまつわるものが主となってきている。
時代劇撮影に特化されたスタジオやオープンセットがあるといえば、今や東映、松竹、そして日光江戸村など限られたところになってしまうが、80年代頃まではまだ東京でも時代劇を作れる環境があった。国際放映、生田スタジオ、三船プロ、松竹大船などがセットを構えており、その他の制作会社もこれらスタジオの協力を得て撮影ができていた。
おもに生田スタジオを借りて数々の傑作を放っていたのが、中村プロ。
言うまでもない東映のスターだった萬屋錦之介(中村錦之助から改名)の独立プロダクションである。
小池一雄(一夫)のスタジオシップが主導の『子連れ狼』や三船プロ主体の『破れ傘刀舟悪人狩り』、東宝主体の『鬼平犯科帳』もあるが、『長崎犯科帳』『破れ奉行』『破れ新九郎』など、ヨロキンを看板に自由奔放な傑作を放っていた、70〜80年代テレビ時代劇の仇花といってもいい存在だ。
とはいえ経営で苦労したのはいずれのスター・プロも同様で、高瀬昌弘監督の諸著書にも書かれているように、中村プロは『鬼平犯科帳』第3シリーズの頃(1982年)不渡りを出し倒産、ヨロキン自身も病に倒れてしまう。
同時期に制作されていた『柳生新陰流』がこのほど時代劇専門チャンネルにて放送され、お目にかかることができた。ファンにとっては嬉しい限りである。
テレビ東京で12時間大型時代劇の第一号として1981年正月放送された『それからの武蔵』、翌年の第二作『竜馬がゆく』と同系の、柳生但馬守宗矩を主人公とする伝記的ドラマ。主役の柳生宗矩のやたら出来た大人物ぶり、脇の人々の絡み方のこれでもかというあざとさ、おまけに劇伴(木下忠司)の流用などでそのまんま『それからの武蔵』を観ているような錯覚を起こしてしまう作品だが、現実には拝一刀も真っ青な冥府魔道の只中にあったヨロキンの葛藤を思うと感慨深いものがある。
東映黄金期の「中村錦之助」から打って変わったテレビ時代劇における「萬屋錦之介」は、拝一刀や平松忠四郎、速水右近などフリーダムすぎるヒーロー(アンチヒーローか?)を演じて水を得た魚のようだった。
復帰後、脇に回って渋い重鎮ぶりを見せたが、この80年代初頭の伝記的歴史路線は、一種の模索期のようなものだったようにも、今の目からは受け取れる。もし中村プロが無事に存続して、思い通りの作品づくりができていたら、と詮無いことながら思わずにはいられない。
また今月の時代劇専門チャンネルでは藤沢周平特集の一環としてフジテレビ・時代劇スペシャル枠の一本、萬屋錦之介『宿命剣鬼走り』も放送された。原作が原作だけに“破れ”っぷりのない剣客のヨロキン。これもまた嬉しい視聴体験だった。